止まらない被災県外移転「もう宮城ではイチゴ作れない」北海道移住決めた農家

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   東日本大震災から1年目の3月11日(2012年)の翌日の「あさイチ」は、さすがに普段の実用情報ではなく、大震災の話だった。「これを区切りにせず、一緒に考えていきます」と井ノ原快彦キャスターが言う。特集では県外避難者を追った。小林孝司アナが「岩手、宮城、福島の東北3県の県外避難者は7万2788人。各市町村の数%から十数%に当たる。のこの人たちの様々な思いを見て行きます」と伝える。

伊達市が日当1万5000円、栽培施設・住居無料提供で受け入れ

   かつては東北一のイチゴ生産高を誇った宮城県・亘理町。250世帯の畑の9割が津波で壊滅した。生産を再開しようにも、イチゴ畑は海の塩分で使えない。そのなとき、亘理町と姉妹都市の北海道伊達市から救いの手が伸びた。「伊達市に移ってイチゴ作りをすれば?』という提案に、6世帯のイチゴ農家が同意して移住した。

   伊達市の支援は手厚く、イチゴ栽培の日当が1万3000円、ハウスなど設備費用も市が負担してくれ、住居も無償提供だ。支援の理由を伊達市の菊谷秀吉市長は、「税金を使った投資です。イチゴを伊達市の特産物に育てて欲しい。われわれは被災した人たちを応援するので、亘理の人たちにイチゴを特産品にしてもらって、市に貢献して欲しいのです」と話す。

   去年12月、丸子裕人さんと6世帯のイチゴ農家は氷点下の雪の中で20棟のビニールハウスを作った。ハウスの中では北海道の土に合ったイチゴ苗の試験栽培が始まっている。

   一方、亘理町に残った裕人さんの父・丸子忠志さんは一人でハウスを作り続け、やっと6棟が完成した。息子が北海道行きを迷っていたとき、父は「私が息子の年なら海を渡る選択をする」と裕人さんの背中を押してくれた。しかし、一人の作業に弱気になったのか、先月、亘理町に立ち寄った裕人さんに、父は冗談まじりにボソっと言った。「いいよ、いつ帰って来ても」

   伊達市の支援体制は来年3月で終了する。しかし、亘理でイチゴ生産が再開できる見通しもない。

(磯G)

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