ヒマラヤ遭難死・河野千鶴子さん「人生のカベ打ち破るため登り続けた山々」

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   世界最高齢の80歳でエベレスト3度目の登頂を果たした三浦雄一郎と相前後して、ヒマラヤ・ダウラギリ(8168メートル)に挑んだ日本人女性登山家・河野千鶴子さん(66)が5月23日(2013年)に遭難死した。

   登頂まであと100メートルのところで、前を登る外国人登山家が滑落して足を骨折、助けるため登頂を断念して下山途中に天候の急変で力尽きたらしい。同じように疲労困憊の下山のなか、ヘリに助けられ三浦とは対照的だった。遺体は残されたままである。

   河野さんは世界7大陸最高峰をはじめ、8000メートル峰5座を登頂した。自宅に残された遺品の中から家族も知らなかった手記が見つかった。病院の管理職と家庭を両立させながら、女性の生きづらさに悩み苦しむ思いが赤裸々に語られ、50歳で山に魅せられ、山に生きる証しを求め続けた姿が綴られていた。

女の生きずらさぶつけて知った「自分の無限の可能性」

   河野さんが本格的に登山を始めたのは50歳のときだった。夫婦ゲンカの憂さ晴らしがきっかけで尾瀬を訪れ、そこで出会った女性に誘われて「練馬山の会」に入った。高所登山を始めるには年をとりすぎた感じだが、生来の努力家のうえ人一倍山への思いが強かった、岩登りや厳冬期の雪山登山などのトレーニングをこなし自信をつけていった。手記には「一歩を踏み出すたびに滑落しそうで怖い」など、疲労と闘う登山の辛さ、苦しさを綴っている。

   それにもかかわらず、駆り立てられる思いを「50歳で山の魅力を知り、山と出合ったことで自分の可能性は無限であることを実感する」と綴り、「自分の存在を認めることができ、自分と向き合える幸せの時間である」とも記している。

   その一方で、山への思いとは異なる女性の生きづらさ、周囲に自分の限界を決められてしまう苦しさや悩みも手記には綴られていた。河野さんは終戦間もない昭和21年に鹿児島で生まれた。女性が男性より低く見られていた時代で、食事の時には一段下がった板の間で食べるほど女性の立場が弱い環境で育った。

   教師になることが夢だったが、女に学問は必要ないと言われ、高校を卒業すると助産師になった。手記には「生きる原動力がここにあった。男尊女卑の世界から逃げ出すことを模索した」と書いている。

   26歳で結婚。3人の子どもに恵まれ幸せを感じながらも、女性としての生きづらさが消えることはなかった。結婚したあと都内の病院に勤め、仕事と家庭を両立させる闘いの日々が続く。44歳で管理職になるとその苦労は倍増した。管理するスタッフ40人全員が女性だった。仕事を終え家に帰ると子どもの世話、家事全般が待っていた。当時、娘の加奈は「母は家事に手を抜いているのではと不満を抱いていた」らしい。そんな家族の視線を感じて河野さんは怒りを夫にぶつけたという。

   そうした悩みを抱えた50歳のときに尾瀬を訪れ、山の世界に揺さぶられた。手記で「男女の線引きが無く、一人ひとりの瞳が輝いていた。私が過ごしてきた生活環境とは別世界だった」と語っている。

山の上にもあった男女差別…だったら一人で登ろう

   山の会に入会して2年後の52歳のときに、早くもパスポートを取得しネパールで初の海外登山に参加した。以来、毎年のように海外の名だたる山を登頂し自信を深めていった。

   ところが、そんな矢先に思わぬ壁にぶつかった。ヒマラヤ登山の時に男性隊員から体力を不安視され、登頂へのアタックを遠慮するように言われたのだ。組織で登山すると誰かの判断で自分の限界を決められてしまう悔しさ。再び男女の壁がよみがえる。

   河野さんはその壁を乗り越えるために、大勢でパーティーを組む登山のスタイルのやめ、自分ひとりで挑戦するスタイルに改めた。その分リスクは高くなる。そのため、家では重りをつけて家事をしたり、三浦を真似て足に重りをつけて歩いたりとトレーニングに励んだ。コツコツ働いて貯めた資金で2年後、自分で登山ルートや日程を決める独特のスタイルでヒマラヤの8000メートル級の山に挑戦する。手記には「私はあのガリガリの山の頂上に自分の足で立ったのだ。それだけで十分だ」と綴られていた。

   登山家の田部井淳子と女性をモチーフにした作品を書き続ける玉岡かおるが出演した。国谷裕子キャスターが「男女の線引きのない場所にどんどん魅せられていった山とはどんなところですか」と聞く。

   田部井「ここは男の山、女の山とは決まっていませんし、まったく公平なところ。自分で計画し一歩一歩登っていくことで、すごい解放感といいますか、青空の下にいると雄大な気持になるところです」

   国谷「自分の存在は何かで悩んでいたようですが、客観的に見ますと、仕事では管理職、家庭では3人の子どもを育てた母であり妻であり、充実していたのではないかと思うのですが・・・」

   玉岡「充実といっても、それは他者のなかで役割を果たしている満足に過ぎないといっては何ですが、本当に自分がやりたいことではなかった気がします。自分が思い通りにできる夢の世界と、そうでない他人のために生きなければならない現実世界のなかで悩まれたのだと思いますね」

「50歳半ばにして『自分には無限の可能性があると思った』というのは、多くの女性たちを勇気づけますね」

国谷は最後にこう言って締めた。

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2013年7月10日放送「自分の足で歩きたい ~ヒマラヤに倒れた女性登山家~」)

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