2024年 4月 27日 (土)

宇多田ヒカル「母・藤圭子は心の病でした。娘であることを誇りに思います」初めて心境

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「母は精神の病に苦しめられていました」

   宇多田ヒカル(30)が初めて、母・藤圭子(62)について語った。病気は、宇多田が5歳の頃から始まったといい、病院へ行くことも拒否したまま悲劇に至ったという。しかし、宇多田は「心に浮かぶのは笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います」と語った。

「本人の意志で治療を受けることは難しく、家族として悩んでいました」

   宇多田はきのう26日(2013年8月)、ホームページで長いコメントを出した。

「22日の朝、母は自ら命を絶ちました。憶測が飛び交っているようなので」と前置きして、「彼女は長い間、精神の病に苦しめられていました。本人の意志で治療を受けることは難しく、家族としてどうしたらいいのか、ずっと悩んでいました」
「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに家族も含め、人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで何も出来ませんでした」
「長年の苦しみから解放されたことを願う半面、最後の行為はあまりに悲しく後悔の念がつのるばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが、とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子どものように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、可愛らしい人でした」
「彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」

ヒカルのデビュー曲「time will tell」藤が通っていたNYの質屋

   25年間をともに過ごした元夫の宇多田照實氏もホームページでコメントした。「病院で診察を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、アドバイスは逆に僕にたいする不信感を抱かせてしまいました。結果治療を拒絶したまま、彼女の苦しみは重症化したと思われます」

「感情の変化が著しくなり始めたのは、宇多田光が5歳くらいのことです。母親竹山澄子氏にも攻撃的になり、光と僕も攻撃の対象となっていきました」

   2人はニューヨークで生活していたが、ヒカルが生まれた後、藤は日本に戻って地方を歌いながら回っていた。親子3人、ミニクーパーで全国を回っていたのだという。のちに「あの頃は幸せだった」といっていたそうだ。

   93年には、家族3人の「U3」というユニットでアルバムを出し、藤のヒカルへの思いが込められた歌もあった。「そうよ小さなあなたを抱きしめて、いきて来たのよ」(生きることを教えてくれた)

   ヒカルの才を売り込みに歩いたのはその後だ。思いが実って98年、ヒカルは「Automatic/time will tell」でデビューする。「time will tell」とはニューヨークの質屋の名前だった。生活のため藤は質屋へも通ったのだった。

   ヒカルの歌にはこんなものがある。「お母さんに会いたい 分かり合えるのも いきていればこそ いまなら言えるよ ほんとのありがとう」 (嵐の女神)、「ああ夢の中でも、電話越しでも、ああ声を聞きたいよ。言葉交わすのが苦手な君は、いつも置き手紙」(Letters)

   ヒカルのラジオ番組で母の「新宿の女」を流した。昨年夏、動画配信サイトで母が歌う「面影平野」を見て感動した。動画が削除されたあと、「『面影平野』を歌うカーチャン、すごくカッコよくて美しくて、ああくそ、どうにかなれ。ダウンロードしときゃよかった」とツイッターに書いた。

死の直前まで元夫と娘に頻繁な電話…そして罵声

   最近の藤は好きな時に思い立って旅に出るという生活だった。ニューヨークから米国内、ヨーロッパ、オーストラリアなど。06年にニューヨー クの空港で高額の現金を咎められたもの、旅の途中だったという。照實氏とヒカルには昼夜を問わず電話があって、時には罵声を浴びせられたという。

   照實氏が最後に藤と話したのは、亡くなる8日前。明るい声だったという。

   森圭介アナ「心の病だった…」

   キャスターのテリー伊藤「15歳のヒカルさんが素晴らしい詩をたくさん書いている。悲しいお母さんの姿を見て育って、それをあれだけの詩にするのは並大抵ではないですよ。もしかしたらお母さんが残してくれた最大の財産かもしれないね」

   芸能レポーターの井上公造は「よくここまで書いたなと、苦渋の文章です。しかし、06年に現金を押収されたあとのテレビインタビューで、彼女自身がパ ニック障害だといってるんです。でも状態がいいときもあった」

   香山リカ(精神科医)「こういうケースでは、普通は年をとるとエネルギーが下がっていくが、もともと持っているエネルギー、情念が強かったのではないでしょうか。それでコントロールできなかったのかもしれませんね」

   ロバート・キャンベル(東大教授)「ヒカルさんの生きるスタンスに、それが深く刻まれていると思います」

   母の死がこれからのヒカルさんの歌にどんな影を落とすか。これまでの歌の解釈も違ってくる。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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