2024年 4月 27日 (土)

「猪瀬直樹」高転び!もう「私は5000万円で都知事を棒に振った」でも書くしかないよ

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東京地検特捜部の逮捕逃れるためのウソ

<「当初、ぶら下がり取材で『選挙関連のカネだ』と認めていた時点では、猪瀬氏は『どうやって釈明しよう』と都民と国民の方を見ていたのだと思います。
   ところが都庁での会見の瞬間から、彼は東京地検特捜部のことしか意識していない。逮捕されないためには何を言えばいいのかという目的から、前言を翻して『個人の借り入れ』と発言したのでしょう。社会通念上は批判されても違法にはならないというラインを狙っての発言です。
   それは猪瀬知事がパニック起こしてるからです。正直に『選挙関連のカネ』と言えば法には触れるかもしれないが、みんな政治にカネがかかることはわかってるのだから一定の理解は得られる。社会的な復権は出来るのです。しかし、彼は捕まりたくない一心で社会的な復権の道を自ら閉ざした。冷静な判断ができなくなっているのです。(中略)
   もはや都知事としての資質がないことは明白。即刻辞任していただきたい」>

   私が1週間ばかり日本を離れていた間に、猪瀬直樹都知事が大変なことになっているようである。引用したコメントは元外交官で鈴木宗男事件に絡んで東京地検特捜部に逮捕、起訴されたことのある佐藤優氏が『週刊文春』の取材に答えたものである。

   公職選挙法違反で東京地検特捜部の捜査を受けている「徳洲会」から、都知事選挙直前に5000万円もの大金を受け取っていたことが発覚したため、辻褄の合わない「いい訳」をしている猪瀬都知事だったが、11月26日(2013年)の「借用書はこれだ」と見せたことが、より大きな批判を招いたようだ。

   『週刊新潮』に沿って猪瀬発言の経緯をまとめればこうなる。<11月22日、午後1時過ぎ、登庁時のメディアによる囲み取材で、

「資金提供という形で応援してもらうことになった。選挙に使った場合には、収支報告書に書くつもりだった」

と説明した。

   これが午後3時の定例会見では「個人の借入金。選挙資金ではないと断言できる」と変化した。

   定例会見ではさらに「申し出があれば、断るのも失礼」となり、さらには「(先方が)持ちかけてきたわけでも、こちらからのお願いでもない」と奇妙に変容していく。

   翌日23日の囲みでは「貸すと申し出があった」に落ち着いた。

   借金なら借用証が必要だが、これをめぐっては22日の定例で「受け取る際、借用証を書いた」と発言した。これが23日には「探せば、ある。公開する必要はない」といっていたのに、11月26日の会見では借用証を表に出したが、徳田様という宛名と、猪瀬氏の名前が記入されているだけで、印鑑すら押されていないことで、偽造ではないかという声も出ているようだ。

   しかも突如「極めて重要なもので、貸金庫に保管していた」と、それまでとは180度違うことを強弁し、恬として恥じないのだから恐れ入る>と週刊新潮は書いている。

   佐藤氏のいうように、選挙資金として借りたものなら、記載していないから公選法違反か政治資金規正法違反に問われるが、個人の借金とすれば「ゴメン」で済むという腹づもりなのであろう。

銀行幹部も聞いていた徳田虎雄の病室ハンズフリー電話「猪瀬は1億5000万円と…」

   しかし、週刊新潮には「徳洲会」の総帥・徳田虎雄氏と次男で選挙違反の捜査を受けている徳田毅氏との、猪瀬氏へのカネをめぐる生々しいやり取りが書かれている。それは昨年の11月19日のこと。虎雄氏のいる「奥の院」を尋ねてきた、あおぞら銀行の常務や部長など3人の幹部がいるとき、毅氏から虎雄氏の携帯電話にかかってきた。携帯電話はハンズフリーのスピーカー機能に切り替えられ、その部屋に居合わせた誰の耳にも相手の声が聞こえる状態になったという。話の概要はこのようだった。

   毅代議士が「都知事選の応援で、猪瀬は1億5000万円とか言ってきました。でも結局は1億を先にくれ。残ったら、『返すから』という話になりました」

   すると虎雄氏は「とりあえず5000万円」にしろといったという。

   「受け渡しはどうしましょうか」という毅代議士に「向こうに取りに来させろ」、毅代議士が「議員会館でやりましょうか」というと「議員会館でやれ。足がつかないようにしろ」という指示があったというのだ。

   これは決定的な「証言」である。週刊文春が書いているように、一水会の木村三浩代表が仲介して猪瀬氏は虎雄氏に会い、虎雄氏から都知事選挙の応援をするという約束をもらい、後日5000万円を受け取ったのである。選挙には意外にカネがかからず、5000万円は手付かずだったようだが、明らかに選挙のための裏金であり、個人的な借金ではないだろう。

   週刊新潮で元東京地検公安部長の若狭勝弁護士が、この事件の展望をこう語っている。<「徳洲会の一部幹部が『借用書なんて知らない』『返金の打診を受けていない』と証言しているため、5000万円は寄付と見なせる可能性がある。出納責任者への報告を怠っており、公選法でダイレクトに猪瀬知事の責任を問えます。私はむしろ借用書が出てきた方が面白いと思っていました。特捜はそれが偽造されたものかどうか、必死で調べることになりますから」>

   1987年に「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、小泉政権下で道路公団民営化推進委員会の委員になり、政界への足がかりをつくる。上昇志向と権力欲が異常なほど強く、あの小さな体で人を威圧する態度をとる彼に、ノンフィクション界の先輩や仲間からも嫌がられていた。だが、400万票以上を集め、東京五輪招致まで決まり、得意の絶頂で事件が発覚してしまった。週刊新潮でかつて民営化推進委員会で一緒になった関係者がこう指摘している。

<「猪瀬さんという人は、一見、改革派の旗印を掲げているように見えます。しかし、それと権力志向とは二律背反ではありません。つまり、彼は権力を掴むためにはどう行動すべきかを一貫して考えていた。反権力的な動きをし、人気を勝ち取った上で、権力の中枢に食い込んでいく手法です」>

   猪瀬都知事が私淑していたノンフィクション作家の本田靖春さんは、猪瀬氏を嫌っていた。彼とでは生き方がまったく違うとまで「我、拗ね者として生涯を閉ず」(講談社)で書いている。

   本田さんは「気の弱い人間である」から、いささかでも強くなるために自分に課した禁止事項があると「拗ね者」で書いている。<欲の第一に挙げられるのが、金銭欲であろう。それに次ぐのが出世欲ということになろうか。それと背中合わせに名誉欲というものがある。

   これらの欲を持つとき、人間はおかしくなる。いっそそういうものを断ってしまえば、怖いものなしになるのではないか>

   5000万円のカネをほとんど面識のない人間からもらって平気な人間には、ノンフィクションを書く資格はないと、本田さんが生きていたら断じたであろう。

   都知事という座にしがみついても地獄、離れてもノンフィクション作家には戻れまい。書けるのは「なぜ私は5000万円で都知事の座を棒に振ったのか」という私ノンフィクションぐらいのものであろう。それはそれで読んでみたい気はするが。

「清原和博」落合GMをボロクソ!「ホンマ性格悪いで。あのヘタレ野郎」

   厳しいコストカットを断行した落合博満・中日GMへの批判が目立つ。『アサヒ芸能』でも清原和博氏が落合批判をしたと巻頭特集を組んでいる。読んでみると、清原が大放言したのはライバル誌の『週刊実話』11月7日号で、それを引用したイージー企画なのでガッカリするが、こちらも当該記事を読んでいないので、アサ芸から引用させていただく。清原はこんな批判を口にしたという。

<「落合さんはホンマに性格悪いで。中日の監督時代は選手より高い年俸もらってたくせに、ある選手があと1打席でインセンティブ契約をクリアするっていうことを知っていて、わざと試合に出さなかったり。
   飛行機で移動する時は落合さんが席順まで決めるんやけど、若い井端とか荒木をスーパーシートに乗せて、立浪をエコノミーに座らせたり。(中略)ヘタレ野郎がこういうイジメ方をするんだな」>

   球界の大先輩をヘタレ呼ばわりするとは「けしからん」といいたげだが、こういう下ネタも引用している。<「○○(選手名)が大阪のヘルスで女の子を呼んだら、予約が入っていて断られたんやて。後日、改めてその子を呼んで聞いたら予約は落合さんで、どうも常連らしく、●●●舐めが好きな人だって女の子が言っていたそうや」>

   これに落合が激怒したという。そりゃそうだろう。この清原発言、どうやらPL学園の後輩で引退した立浪和義氏が、中日の監督になれないことに腹を立てているからだそうである。こうもいっている。

<「これ、ふざけてるわ。監督は立浪がならんとアカンでしょ。立浪の存在っていうのは巨人で言うたら原さんや。なのに落合さんがずっと邪魔し続けてるんや」>

   アサ芸によれば、これは清原の独り相撲で、過去に立浪氏と裏社会の黒い交際や女性トラブルが何度か報じられたことで、球団オーナーが立浪を嫌っているようだという。

   球界の元番長も、どこの球団からも引きがないため腐っているようであるが、週刊誌にとってはありがたい存在なのであろう。

「グリー」「ディー・エヌ・エー」「ミクシー」凋落の原因は「頭固い経営者」

   IT企業の栄枯盛衰は激しい。『週刊現代』はグリー、ディー・エヌ・エー、ミクシーの3社を取り上げて、「突然儲からなくなった会社 何が起きたのか」という特集をやっている。田中良和社長(36歳)が楽天を退社してグリーを設立したのは2004年のことで、携帯電話用ゲームという市場を開拓するや爆発的な成長を始め、会社設立からたった4年で株式を上場した。田中氏は30代前半にして、米誌『フォーブス』が選ぶ世界の富豪ランキングに名を連ねる成功者に躍り出たものだった。

   世界展開もして、IT企業の先頭を走っていたのに、現在の営業利益はピーク時の3分の1の水準で、希望退職を募ったら社員の1割強の希望があり、見る影もなく凋落していっているようだ。

   ディー・エヌ・エーも携帯電話用ゲームサイト「Mobage」が大ヒットし、横浜ベイスターズを子会社化してプロ野球に参入したが、直近4半期は連続して営業減益と成長に陰りが見えている。SNSの先駆者だったミクシーの凋落はいまさらいうまでもない。

   グリーとディー・エヌ・エーはスマホの急速な普及に対応できなかったのが大きいという。それだけではなく、元マイクロソフト日本法人代表の成毛眞氏は経営者に問題ありというのだ。

<「あっという間に競争のルールが変わるネット業界では、成功するが故に失敗してしまうということがよく起こる。そして、昨日の勝者があっという間に敗者に落ちこぼれる。ネット企業の経営者は若いから柔軟性があるように見えるが、そんなことはなくて、成功体験をガンコに貫いてしまう頭の固い人間が多い。
   栄枯盛衰の激しい業界だが、敗北の真の原因は変われない経営者にある」>

   いま盛りのLINEや「パズドラ」で当たっているガンホーも、いつまでも栄耀栄華を極めているわけにはいかない。経営者も会社の業態も世の中の変化について行かなくては、利用者から見放される厳しい業界である。利用者は常に目新しいものを探し、それに飛びつけばいいのだから。

   マイクロソフトも一時の勢いはなく、Googleも不安説が囁かれ、いまのところ勢いが衰えないのはAmazonだけである。5年後にはIT業界の勢力地図もガラッと変わっているかもしれない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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