「古代日韓関係」共同研究でわかってきた幅広い交流…福岡に新羅の馬具、韓国で日本式前方後円墳

印刷
「水は高き所から低き所に流れる。低き所から高き所には流れない」

   高き所とは朝鮮半島で、低きが倭と呼ばれた日本(当時のヤマト王権)だ。古代日本の文化は朝鮮半島の影響を色濃く受けたが、朝鮮半島は日本文化の影響を受けていないという保守的な韓国の古代史研究家の言葉で、これが韓国では定説になっていた。しかし、日韓両国研究者が協力して古代の日韓の交流史を解き明かそうという新たな動きが強まり、定説も見直される可能性が出てきた。

戦争回避のために贈り物や豪族の仲介

   キャスターの国谷裕子は「日韓関係はいま政治的な緊張状態が続いていますが、古代史研究分野では交流が盛んとなっています。そのきっかけは今年3月(2013年)に福岡県古賀市で6世紀後半頃の古墳から朝鮮半島の新羅産と見られる金銅製馬具が出土し、大きな注目を集めたことでした」と話す。

   韓国でも各地で日本独自のものと思われていた前方後円墳が次々と発見されている。古賀市の古墳から出土した馬具などは200点余りで、新羅の王族などが使っていたものと見られている。

   国谷「当時、日本は聖徳太子が活躍していた時代で、新羅とは緊張関係にありました」

   なぜ敵対していた新羅が日本に豪奢な馬具を贈ったのだろう。古代人口学が専門の九州大学・田中良之教授はこう解説する。「九州豪族は独自に朝鮮半島との交流・通商を行っていました。朝廷は新羅からの侵入に備え2万人の兵を九州南部に集結させていましたが、戦争となったら真っ先に狩り出されるのは自分たちですから、それを何とか避けようと新羅と朝廷の仲介を必死にしたと思われます。新羅は貴重な贈り物で日本との和議を考えていたのではないでしょうか」

現在の国家・国境とはまったく違う視点で古代史研究

   韓国の若手古代史研究家のパクチョンス・慶北大学副教授は「古代の国境を越えた交流は、現在の国境とは異なる感覚で行われていました。ですから、今の国家・国境という視点で古代史を見ると見誤ります」と話す。

   国谷はゲストの田中史生・関東学院大学教授に「日本と韓国、お互いに当時は影響をし合っていたということが明らかになりつつありますが、今後の研究はどう進むのでしょうか」と聞く。田中史生教授は「お互いに影響があったことは明らかで、ではどんな影響かというのは、現在の国家や国境という単位ではなく、そのベースとして地域同士や人々たちがどんな繋がりを持っていたのかという所から見る必要があると思います。今の国同士の国際関係と、古代の国際関係は違うということを忘れてはなりません」と語る。

文・ナオジン

NHKクローズアップ現代(2013年12月02日放送「明らかになる古代の『日韓交流史』」)

  • コメント・口コミ
  • Facebook
  • twitter
コメント・口コミを投稿する
コメント・口コミを入力
ハンドルネーム
コメント・口コミ
   

※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメント・口コミは掲載しない場合があります。
コメント・口コミの掲載基準については、コメント・口コミに関する諸注意をご一読ください。

注目情報PR
追悼

お知らせ

電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中