マンデラ「憎しみを融和に変えた獄中27年」さまざまな色がともに輝く虹の国を作ろう

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   南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が今月5日(2013年12月)、95歳で死去した。マンデラ氏は1994年に、初めて全ての人種が参加した選挙を経て大統領に就任し、その口癖は「前に進もう!」だった。肌の色が異なる人々が共存する虹色の国(レインボーネーション)を掲げ、人種間の融和と民主化に努め、国民的な英雄として尊敬を集めた。

   キャスターの国谷裕子は「アパルトヘイトの時代、南アフリカでは黒人と白人の結婚はもちろん、黒人が白人と同じバスに乗り合わせる事も拒否されていました。そうした中で、マンデラ氏は虹の国を掲げ、迫害や復讐ではなく、共に新しい国を創ろうと呼びかけました。この理念はどこから生まれたものなのでしょうか」と語る。

白人の公用語「アフリカースン語」学んで刑務官を味方に

   マンデラが大学生の時代、黒人には選挙権が認められず、過酷な迫害・弾圧が行われていた。マンデラも45歳の時に国家反逆罪で逮捕・投獄され、以来27年間の獄中生活を送った。当時、同じ政治犯として収監されていたモシワ・レコダさんはこんなエピソードを明かした。

「彼は最初の頃は刑務官への怒りや憎しみが渦巻いていました。しかし、しばらくするとその刑務官に目を向けるようになり、なぜ白人が黒人を迫害するのか、すべての白人が黒人を憎んでいるわけではないと考えるようになりました。そのために、白人の間で通用していたアフリカースン語を学び始めたんです」

   マンデラはアフリカースン語を覚え、白人刑務官に話しかけ敬意を表することで、彼らの心を解きほぐしていった。マンデラの弁護士であったジョージ・ビシス氏はこう語る。「ある時、刑務所に面会に行ったら、刑務官たちが彼に気を使いながら連れてきた。こうした光景を見たのは初めてで、大きな驚きだった」

   出獄直後、マンデラは「さまざまな憎しみや苦々しさは、刑務所に置いてきた」とまず語った。そして、「抑圧された側が解放されるのと同じように、抑圧する側も解放されなければならない。他人の自由を奪うものは、憎しみにとらわれ、偏見の檻に閉じ込められているのだ」「肌の色や育ち、信仰の違いを理由に他人を憎むように生まれつく人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎むことを学べるなら、愛することも学べる」と語るようになったのだ。

世界のさまざまな対立解消のヒント「他人を憎むように生まれつく人などいない」

   国谷はゲストの吉田昌夫氏(元日本アフリカ学会副会長)に「なぜ、マンデラ氏は民族融和という強い信念を持つことが出来たのでしょうか」と聞く。

   吉田「マンデラ氏はリーダーといっても、自分が先頭に立って何かをするというタイプではありませんでした。仲間とともに行うというタイプで、仲間や同志との和・絆を大切にする人でした」

   国谷「マンデラ氏の民族融和、虹の国というメッセージを私たちはどう受け止めればいいでしょうか」

   吉田「これだけ世界中でさまざまな対立が起きている中で、マンデラ氏はその解決方法として対話を呼びかけています。対話や民族融和は誰もが学ぶべきメッセージだと思います」

   南アフリカでは人種差別制度はなくなったが、人口の8割を占める黒人間で貧富の差が広がるなど新たな問題が起きている。

文・ナオジン

NHKクローズアップ現代(2013年12月9日放送「『虹の国』を目指した男~ネルソン・マンデラ氏のメッセージ~」)

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