2024年 4月 26日 (金)

清原和博「覚醒剤疑惑」シャブ抜き入院ホントか?周囲も気づいた呂律回らず異常行動

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妻・亜希さん友人に相談「暴力的ですぐ激昂。刃物持って追いかけ回された」

<「じつは清原は覚せい剤などの薬物の禁断症状に苦しんでいるのです。
   昨年、彼は足立区にある精神科の病院に一週間ほど極秘入院しています。入院したのは、傍目にも言動が異常をきたしていたから。隣で呼びかけても無反応、目の焦点が合わず、口はネチャネチャと粘つき、ときおり意味不明のことを口走っていた。この病院で電気ショックなどの治療を受け、『シャブ抜き』が行われたそうです」>

   元プロ野球の大スター清原和博(46)の覚せい剤『疑惑』は少し前から騒がれていた。私も先月下旬(2014年2月)に行われた友人の出版祝いの会で「清原が近々シャブで逮捕されるらしい」という話がひそひそ交わされているのを聞いている。

   『週刊文春』で先のコメントを語っているのは清原と親しい友人A氏だが、親しい友人B氏による証言もある。<「清原の妻・亜希さんは、『最近夫の様子がおかしい。暴力的になり、すぐ激昂する。刃物持って追いかけ回されたこともある』と、複数の親しい知人に相談しているのです」>

   清原といえばPL学園時代、甲子園で桑田真澄とともに高校生離れした素質を見せた。1986年に西武ライオンズに入団し、入団4年目には21歳で100号本塁打を達成。23歳で年俸1億円を超えるなど、いずれも史上最年少記録を更新した大打者である。巨人、オリックスとチームを渡り歩いたが、オールスターのMVP7回、サヨナラ本塁打12本の日本記録をもつ記憶に残るスーパースターだった。またその言動や威圧感で「番長」という呼び名がついた。

   西武ライオンズ時代に麻薬撲滅のポスターに登場して、そのコピーには「覚せい剤うたずにホームランを打とう」とあったと週刊文春が書いている。2000年にアイドルグループ『セブンティーンクラブ』などで活躍したモデルの木村亜希(44)と結婚して2人の息子にも恵まれた。亜希のほうも子育てをしながらカリスマモデルの地位を確立し、11年にはベストマザー賞も受賞している。清原もマイホームパパぶりを発揮していたのだが……。

   しかし、引退後の彼を待ち受けていたのは、現役時代のような輝かしい生活ではなかったようだ。カネ遣いと言動の荒さも災いしたようである。そんなうっぷんをクスリで紛らわせるようになったのだろうか。

厚労省が「清原専従チーム」編成?立証難しい薬物事案

   こうした情報をキャッチした週刊文春取材班が、清原追跡を続けたところ、2月27日、都内の大学病院に入院したのが確認されたという。同日午後10時半過ぎ、清原は妻ではない女性を伴って大学病院の出口から現れた。日焼けした肌にゴールドのペンダント。短パンをはいた脛には龍の入れ墨。週刊文春が覚せい剤をやっているという話があるがと切り出すと、初めは呂律が回らないがそれなりに答えていたが、「いつ(病院に=筆者注)入ろうが、あなたに答える必要がない。そういう検査も含めて……、事務所から、きちんとした答えを出すって。そして、あなたが今言ったことを……。ね? もし違った場合、あなた、とことん追いつめますからね」

   そのあたりから清原の態度が急変したそうだ。記者からICレコーダーを奪い取り、カメラマンからもカメラを奪い取ろうとした。ガードマンが割って入ろうとすると、ガードマンから見えないように斜め後ろを向き、折れたICレコーダーの鋭利な部分に自らの左手の甲にあて、何度も傷つける自傷行為を繰り返したというのだ。グラビアには記者からICレコーダーを奪おうとして、記者ともみ合う姿が写っている。

   週刊文春は薬物使用の可能性が極めて高い清原への捜査当局の包囲網は狭まっているという。マスコミ関係者によれば、2011年頃にも清原の薬物使用の情報が出回り、マスコミが一斉にマークしたことがあったという。厚労省の麻薬取締部が清原を狙うチームを編成しているともいわれ、相当時間をかけて疑惑を追っていた記者もいたというのである。

   疑問なのは、以前も週刊文春は「CHAGE and ASKA」のASKA(飛鳥涼、本名=宮崎重明)がクスリ漬けだと報じたが、警察や麻薬捜査官が動いたという話は聞かない。今回の清原も、覚せい剤疑惑はかなり濃厚のようだが、事情聴取すら行われていないようなのはなぜなのだろうか。

   週刊文春は薬物疑惑を立証するのは困難であるという。<「覚せい剤が尿検査で検出できるのは、せいぜい使用から三日間。常用者でも十日間程度。髪の毛には長期間残留しますが、信頼度が低いので、裁判でも証拠にはなりにくい」(覚せい剤に詳しい医師)>

   小者ばかり捕まえているだけでは「クスリ抑止効果」は期待できないはずだ。男の顔は履歴書、女の顔は請求書という落語のマクラがあるが、清原の顔をじっと見ていると、彼の人生がそこに凝縮されているのがよく見て取れる。後半生をこれ以上汚さないでくれと、元野球少年は思うのだ。

朝日新聞「●●」伏字だらけの奇妙な「週刊文春」「週刊新潮」広告!さて、判読すると…

   ところで、けさ6日(2014年3月)の朝日新聞の週刊文春と週刊新潮の広告に●が付いていたのに気づいた人も多いことだろう。週刊文春のは「『慰安婦問題』A級戦犯●●新聞を断罪する」、週刊新潮は「●●記事を書いた『朝日新聞』記者の韓国人義母『詐欺裁判』」である。

   週刊文春の●●は「朝日」と入り、週刊新潮の●●は「捏造」と入る。これが朝日新聞側の『検閲』によるものであることは間違いない。捏造云々というのは議論のあるところだろうが、A級戦犯朝日新聞というのを消すのは大人げないと思うのは、私だけだろうか。

「STAP細胞」詳しいマニュアルやっと公表!専門家から「論文通り作れない」に理研大慌て

   さて、その朝日新聞6日付朝刊に話題のSTAP細胞の記事がちょこっと載っていた。<新しい万能細胞「STAP(スタップ)細胞」について、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)は5日、詳しい作製手順をまとめた文書をウェブサイトで公表した。国内外の研究者から「論文の情報だけでは細胞を作れない」などとして、より詳しい手順の公開を求める声が出ていた。

   今回は、この細胞の作り始めから終わりまでを8段階に分けたマニュアルを公表した。STAP細胞に変えたい細胞は事前に酵素などでバラバラにしておくことや、オスの細胞のほうがメスよりつくりやすいなど、細かな注意点も記した。(中略)

   一方、論文の画像や他の論文の引用表記などに不自然な点があるとの指摘があり、理研とネイチャー誌が調べている。理研は「様々な指摘を真摯(しんし)に受け止め、調査結果が出れば速やかに公表する」と話している>

   料理のレシピだってさじ加減などを細かく書くのに、世界的発見といわれたSTAP細胞の作り方を今頃になって発表するのは、週刊誌で「疑惑」を追及されているからだろう。

   あれほど大々的に取り上げた新聞が、こんな大事なことを新聞の片隅に載せてすましてしまうこと自体、批判の対象になるはずである。新聞は自社の理系に強い記者を総動員してSTAP細胞の真贋について取材させたらどうなのか。それこそ新聞がやるべきことなのではないのか。

もう小保方晴子さんが説明するしかないか…今度は「論文コピペ」疑惑

   今週は『週刊現代』と『週刊新潮』が同じような記事を載せている。週刊現代は「もはや、絶体絶命!STAP細胞小保方晴子さんに新たな『論文コピペ疑惑』」。中身も濃いので週刊現代を取り上げる。新たな疑惑を科学ジャーナリストがこう語る。

<「問題の箇所は、2005年にドイツの名門、ハイデルベルク大学の研究者らにより発表された論文の一部をコピペしたのではと見られています。科学誌『ネイチャー』に掲載された小保方チームの論文とドイツの論文を比べると、約10行にわたってほぼ同じ英文が並んでいる部分がある」
   横浜市立大学大学院医学研究科で再生医療を研究する鄭充文氏もこう難じる。<「私たち研究者の社会では、引用文献についてはかなり厳しくチェックしています。小保方さんのようなケースで引用元を表示しないというのは、ありえない。
   しかも博士号までとった研究者が『ネイチャー』に提出するレベルの論文で、基礎的な元素記号を間違えるなんてことは考えられません。少なくとも、自分で論文を書いて確認をしていればまず起こらないこと。なのに、こんな初歩的なミスが指摘されるのは、元になった論文を何も考えずにコピーし、自分の論文に貼り付けたからではないのか。もしこれが本当に『コピペ』だとしたら小保方さんは研究者として完全にアウトですよ」>

   週刊現代は<とはいえ、もしも論文通りに実験が成功し、STAP細胞が確かにできるというなら、こうした問題点も「些細なミス」で済むかもしれない。だが2月27日現在、日本国内を含む世界の複数の一流研究所が追試を試みても、1件の成功例も上がっていない>と追及する。さらに、<気になるのは次々と疑惑が持ち上がっているのに小保方さんら研究チーム、理研サイドから、この期に及んで何のアナウンスもないこと>(週刊現代)

   共同研究者の山梨大学の若山照彦教授にしても<「『STAP細胞は小保方さんの指導を受けたときだけできた』と言ったかと思えば『何度も成功している』と取材に答えたり、別の場面では他人事のように『いつか誰かが成功してほしい』と話したり、メディアのバイアスを考慮しても、発言にブレがある。逆に不自然さが増しています」(再生医学に詳しいある大学病院幹部)>

   東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏もこう語る。<「論文のデータに不審点があることと、研究そのものが正しいかどうかは、分けて考える必要があります。ただ、ひとつひとつの部分に丁寧さがなければ、全体の信頼性も失われる。信頼を取り戻すには、小保方さん本人が出てきて、正直に、きっちりとした説明をするしかありません」>

   ようやく理研側からアナウンスがあったが、疑惑をすべて払拭するほどのものではない。私はこうしたことに詳しくないから、小保方さんの「疑惑」がどこまでなのかはわからないが、やはり一度、彼女は会見を開いて話をしたほうがいいと思う。

Nスペ美談「震災がれきでヴァイオリン」また捏造!?製作者に経歴詐称、デキ悪い楽器

   佐村河内守氏の例に見るように、美談が『捏造』され、それを検証もせずにメデイアが囃し立てるケースはこれまで幾度もあったが、今週も週刊新潮が「震災ヴァイオリン」もそうだという記事をやっている。引用する。<震災ヴァイオリンの製作者である中澤宗幸氏(73)は、そこに至るまでの経緯を自叙伝「いのちのヴァイオリン」(ポプラ社ノンフィクション=筆者注)にこう記している。

「陸前高田という海辺の町の映像がテレビで流れました。もともと海岸線に美しい松林があった景勝の地です。津波で松林も町の家いえも流されてしまいました。一本の松だけが残り、『奇跡の一本松』としてしきりに映像が流れていましたから、知ってる人も多いでしょう」

   さらに、こう続く。「そのとき、妻がいったのです。『あれは瓦礫なんかじゃないわよね。人が生きてきた歴史であり、思い出そのものなのよ。ねぇ、お父さん、あの木からヴァイオリンをつくれないかしら』と。わたしは壊れて流木となった家屋の木材を使ってヴァイオリンをつくろうと心に決めました」

   中澤氏が震災ヴァイオリンの制作に着手したのは、震災のあった11年の暮れも押し迫った頃だという。追悼式までの約3か月の間に、ヴァイオリンを1挺完成させると、その後も3挺のヴァイオリンと2挺のビオラ、チェロも1挺製作したそうだ。

<瓦礫から鎮魂の響きを奏でる楽器を誕生させたという美談は「NHKスペシャル」をはじめ、テレビや新聞などに繰り返し取り上げられ、復興のシンボルに祀り上げられた」(週刊新潮)
   そして、震災ヴァイオリンの初お披露目は、東日本大震災から1年経った2012年3月11日、岩手県陸前高田市で行われた追悼式だった。被災遺族らを前に、89歳になる現役最高齢のヴァイオリニスト、イヴリー・ギトリスによって鎮魂の曲が演奏されたというのである。
   だが、その中澤氏にまつわる「噂」は決してよいものではないと週刊新潮は書く。<「業界内では中澤さんのことはハデな取引をするディーラーとの認識はありますが、修復や鑑定の腕前を耳にしたことはありません」
   そう語るのは日本弦楽器製作者協会の幹部だ。
「メディアでは中澤さんの言うことを鵜呑みにして『ストラディヴァリウスの修復・鑑定の世界的第一人者』などと持て囃している。その言葉自体、素人ではないかと疑わせるものです」>

   ストラディヴァリウスは600挺ほど現存するが、すべて鑑定作業は終わっているので、改めて中澤氏が鑑定する必要はないというのである。私もストラディヴァリウスについては若干知っているが、彼のいうとおりであろう。

   中澤氏は1980年に東京の高田馬場に「ヒル商会」という店を立ち上げた。これはロンドンの名門工房であるヒル商会で修行したことがあるからつけたのだと周囲に語っていたが、ロンドンのヒル商会がそれまで1人の日本人も雇い入れていないことは、当時、業界内では周知の事実あったという。また、ヒル商会で働いていた元従業員は「中澤さんはセールスに奔走していたので、ヴァイオリンそのものを製作する姿は一度も見たことがない」と話している。

   では、その腕前はどうなのか。実際に震災ヴァイオリンを弾いたことのあるプロの演奏家はこう語っている。<「震災ヴァイオリンのクオリティは決して高くはない。例えば、弦を押さえる指版の位置が低すぎるうえに、その表面がガタガタの状態で、なかなか音を安定させられないのです。楽器としての質だけを判断するなら、その出来は褒められたものではありません」>

   中澤氏は週刊新潮の取材に対して、経歴詐称疑惑についてはあっさり「実際に修行はしていませんし、周囲にそう語ったこともない」と答えている。

   このケースを佐村河内と同じように「捏造された美談」と切り捨てることはできないだろう。ヴァイオリン製作の腕はよくないようだが、瓦礫を使って自らヴァイオリンをつくったのは確かなようだからだ。私は聞いていないからわからないが、震災ヴァイオリンの奏でる音はストラディヴァリウスとはほど遠いものであったのだろうが、集まった人たちに震災のあの日を思い起こさせるのには十分な音色だったのではないか。

   日本人だけではないのかもしれないが、モノに付随する物語のほうに重きを置く傾向が強すぎるため、それを利用して知名度を上げ、カネに結びつけようとする輩が排出するのである。メデイアはもっと自分たちの目と耳を磨く必要がある。自戒を込めてではあるが。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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