松本サリン事件から20年目の新事実…間に合わなかった分析データ・防御策!警察の報告書配布当日に地下鉄サリン

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   松本サリン事件から20年である。得体の知れない事件だった。平成6年6月27日深夜、煙のようなものを見た人がいた。臭いはしない。それで500メートル範囲内の8人が死亡し、140人が負傷した。やがて「サリン」とわかる。

「サリン?」「何だそれは?」「誰が何のために」

   長野県警は第1通報者の河野義行さんを疑った。自らもダメージを受け、妻は意識不明の重体(のち死亡)というのに、自宅から押収した農薬にこだわった。なぜか「サリンは市販薬でも作れる」とされ、メディアも河野さんを犯人扱いした。結果的に県警はオウム真理教にたどりつくことができず、9か月後の地下鉄サリン事件に至る。

長野県環境保全研究所が毒物特定―警察に知識・情報なくオウム見逃し

   実は、サリンについては多くのデータがあった。これが共有されていれば、地下鉄事件の二次被害は避けられたかもしれなかった。死者13人のうちに、サリンを直接処理しようとして犠牲になった地下鉄職員2人がいる。6300人の負傷者の中には、二次被害の警察、消防、医療関係者690人がいる。消防の135人は装備不十分で知識も解毒剤もなかった。

   サリンを特定したのは長野県環境保全研究所だった。現場の池から採った水にメダカを入れたら、1時間で全滅した。背骨が曲がるほどの強い毒性を示した。そこで得た科学データを内外の資料とつき合わせた。一致したのがサリンだ。ナチス・ドイツが開発した猛毒だったが、そんなものが日本にあるのか。発生から2日後のことである。警察の発表はさらに4日後。警察でもサリンを知っている者は皆無だった。

   NHKが入手した長野県警の捜査報告書によると、県警は11人の専門家に聞いていた。サリンを作るには高度の知識と密閉した製造施設が必要だ。それがどうして「市販薬で普通の人でも作れる」と誤って伝わったのか。専門家の1人は「言葉の一部を誤って受け取られた。『普通の人でも』は限定的に話したつもりだが、外側を歩いてしまった」という。

   河野さんはいま「(サリンと聞いて)会社員が作れるものじゃない。疑いは晴れたと思った。分かれ目でした」という。警察は逆にとったのだった。そのため捜査の矛先がオウムからそれ、自信を得たオウムは2度目のテロに走ったのである。

防げたかもしれない地下鉄職員、警察官、消防救急隊、医療関係者の2次被害

   信州大医学部講師だった那須民江さんは、地域の1700人から詳細な聞き取り調査を行った。体に異常を感じた時間に注目した。散布された直後が多いのは当然だが、7時間後にもうひとつピークがあった。衣服に着いたり、地上に落ちたサリンが分解する前に再度空中に舞い上がったと考えた。サリンの特性かもしれない。また、農薬被害の治療薬の投与で症状が改善することもわかった。

   この結果は、8か月後に東京で開かれた極秘の会議で、警察関係者に伝えられた。警視庁の科学捜査研究所がこれに注目して、防毒マスクの整備を進言。サリンの特性や取り扱いの注意、解毒薬などを全国の警察、消防や病院に知らせる報告書も作った。配布の日付が平成7年3月20日になっている。地下鉄サリ ン事件の当日である。間に合わなかった。

   NHK社会部の清永聰記者は「情報が共有されていれば、2次被害を軽減できたのではないでしょうか。地下鉄は立ち入り禁止、服は着替えて、換気の悪い部屋は使わないなどを医療機関が知っていたら…」という。

   那須さんは「3年前の福島原発事故でも最新の科学知識が伝えられていませんでした。松本サリンと同じです」という。未曾有の事態が起ったとき、情報をどのように共有すべきか。絶えず問われ続ける課題である。

ヤンヤン

*NHKクローズアップ現代(2014年6月26日放送「生かされなかった教訓~松本サリン・20年後の真実~」)

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