家族のための捨て石になろう!第2次大戦・欧州最前線に送られたNisei米兵・・・ようやく語れるようになった過酷体験

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   ドイツ・ミュンヘン郊外で今月3日(2015年5月)、ユダヤ人強制収容所の解放70周年を祝う式典が行われた。ユダヤ人4万人が虐殺されたナチスのダッハウ強制収容所の解放に貢献したのは、母国であるはずのアメリカで強制収容所に入れられ、理不尽な扱いを受けていた「Nisei」日系二世の兵士たちだった。

   日本では日系二世の兵士たちの過酷な戦争についてはほとんど知られていない。過去を蒸し返すことはないと彼らが語りたがらなかったからだが、戦後70年が過ぎて、元兵士たちのほとんどは90歳を超え、ようやく重い口を開き始めた。

270人の白人米兵救出のため800人以上が死傷した二世連隊

   74年前の日本軍による真珠湾攻撃でアメリカ西海岸で暮らしていた日系アメリカ人たちの生活は一変した。日本のスパイになることを恐れたアメリカ政府は敵性外国人として扱い、14万人を強制収容所に送った。仕事も財産も失い、有刺鉄線に囲まれた不毛の地で自由も尊厳も奪われた生活が始まった。当時18歳だった日系二世のマサオ・カドタ(91)は次のように述懐する。

「監視塔からはいつも見張られていた。鉄条網でできたフェンスに近寄ることもできず、何もすることができなかった。まるで囚人のようだったのです」

   戦争が始まって1年半後、戦闘が激化してくると、アメリカ政府は若い日系二世たちに兵役への参加を求めてきた。収容所に入れられた自分たちがなぜ戦わなければならないのか。矛盾を感じながらも従うことにした。理由は「敵性外国人ではなくアメリカ国民だと認められたかったのです」という。

   配属されたのは日系二世を集めてつくられた米陸軍442歩兵連隊だった。従軍した将兵の数は1万4000人、うち4000人以上が死傷した。死傷率は他の部隊の3倍だった。連隊は1943年にイタリアに上陸し、ドイツ軍を撃破しながら北上を続ける。その後、フランスに転戦して戦争末期にドイツ本国に進攻した。

   連隊は常に最前線での戦いを強いられ、突破口を開く役割を担わされた。なかでも激しかったと言われているのが、1944年10月に下された「ドイツ軍に包囲されている味方の白人兵270人を救出せよ」という命令だった。1200人の仲間とともに参加した日系二世のシグ・ドイ(95)によると、戦場はうっそうとした森で、敵の姿が見えないなかで四方八方から銃弾が撃ち込まれ、それを目当てに突撃を始めた。

「あの時のことは話しても理解してもらえないでしょう。人が吹き飛ばされ内臓が木に引っかかっていたのを見ました。足を撃たれ負傷すれば幸せな方です。前線から離れられるのですから。一番辛かったのは、(負傷もせずに)毎日を生きることでした」

   戦闘開始から4日後、包囲されていた白人兵の多くは無事に救出された。代わりに日系二世の兵士は800人以上が死傷する大きな犠牲を被った。

ユダヤ人強制収容所を解放「アメリカの収容所にいる家族や友人を思い浮かべました」

   人種によって命の重さが異なる理不尽さ。それでも戦闘へと駆り立てたのは、自分や家族、友人がアメリカ国民として認められたいという一念だった。ドイは目に涙を浮かべながら「今もよく眠れません。だから本当は考えたくない。でも逃げられません」と話す。

   ススム・イトウ(95)も戦争末期に大きな矛盾を体験した。イトウが所属する部隊は1945年4月、ユダヤ人20万人が収容され、4万人が虐殺されたダッハウ強制収容所の解放を担った。アメリカの強制収容所に家族を残したイトウが目にしたのは、他人事ではない光景だった。

「季節はずれの雪の中にたくさんの死体が転がっていました。歩いていた、あるいは歩こうとしていた人たちの多くは非常に痩せこけていました。ほとんどが骸骨のようだった。そこで起こった不当な出来事を知って、アメリカの収容所にいる家族や友人を思い浮かべました。人種や宗教の違いを理由に一つの集団に対しなぜこんなことをできるのかと...」

レーガン政権は日系人強制収容政策を誤りと認め公式に謝罪

   生き残った日系二世の元兵士たちは後に続く三世、四世を守るために、戦争中の体験をこれまでほとんど語ってこなかった。「自分たちより良い生活をしてほしいと思ったのです。知ってもらっても何も良いことはないと思ったのです」という。

   しかし、三世たちが成長し戦争の話を聞くようになり、親に体験を語るよう強く求めた。三世たちに背中を押されてようやく語り始めると、アメリカ政府も無視できなくなり、レーガン政権時代の1988年に、日系アメリカ人を強制収容した政策を誤りと認め公式に謝罪した。

   そして戦後70年を迎えた今年、記録して歴史に残したいという動きも出始めているという。日系アメリカ人の歴史に詳しい京都大学の竹沢泰子教授に、国谷裕子キャスターが「日系二世の兵士は捨て石だったのではないでしょうか。差別はあったと考えますか」と聞く。

「今でも見方は分かれています。捨て石ではなかった、ベストだったからだという見方です。当時、米軍の上層部が書いた手紙の中でも『日系人はずば抜けた戦闘能力を持っており、非常に忠実だ』と高く評価していました。捨て石だとも言い切れないでしょう」

   国谷「帰ってきた後、アメリカ人の日系人を見る眼差しは変わったのでしょうか」

   竹沢教授「戦争で命をかけて戦ったことは、誰も何も言えないですね。彼らの存在が戦後の日系アメリカ人の地位向上に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう」

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2015年5月13日放送「『Nisei』たちの戦争~日系人部隊の記録~」)

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