2024年 5月 4日 (土)

「1000本ノックどころじゃなかった罵倒」蜷川幸雄シェークスピアのハムレット藤原竜也

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車椅子、酸素吸入バイプをつけながら演出指示

   埼玉・川口市生まれ。20歳で劇団青俳に入団したのが始まりだった。「現代人劇場」を創立して演出家になる。アングラ演劇から現代劇、近松門左衛門からギリシャ悲劇、西欧古典までを奔放に走り抜けた。

   おととしに肺気腫などを患い、車椅子、酸素吸入バイプをつけながらだったが、ペースを落とすことはなかった。昨年暮れから体調を崩して入院していたが、病床から演出指示を出し続けた。亡くなる前日に見舞った演出家の野田秀樹は、ベッドの脇に台本が3本置いてあるのを見たという。

   蜷川さんの長女で写真家の蜷川実花さんは、インスタグラムに格子越しに花を撮ったモノクロ写真を載せ、「今日、父が逝ってしまいました。最後まで戦い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います」と書いた。

   司会の加藤浩次「怒る、どなるのは情熱だったり愛情だったりと感じますね」

   本上まなみ(俳優)「お芝居は魂のぶつかり合い。それが皆さんの宝物になってるのがわかりますね」

   近藤春菜キャスター「通っていた短大の学長が蜷川さんで、演劇科じゃなかったけど授業を受けたことがあります。楽しかった。生徒もキラキラしていましたねえ」

   菊地幸夫(弁護士)「年をとるとみんな丸くなるのに、最後まで熱いものを持っていましたね。敬服します」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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