2024年 4月 28日 (日)

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モハメド・アリ「エキジビション」と思ってたアントニオ猪木「異業種格闘技」来日してから「本気でやるの!?」

   やや旧聞になるが、モハメッド・アリが6月3日(2016年)に亡くなった。74歳だった。ボクサーとして輝かしい経歴を残したが、晩年はパーキンソン病に苦しみ、たまにテレビで見ると手の震えが止まらず、顔の表情も苦しそうだった。

   先夜、1976年6月に行われたアリとアントニオ猪木との異種格闘技戦を放送したので改めて見たが、両者の思惑や対戦中の2人の駆け引きなどのテロップが入っていたせいか、生で見たときの「凡戦」のイメージがやや薄れた。

   週刊ポストでノンフィクション・ライターの柳沢健氏がその時の裏話を書いている。アリは当初、この試合はエキジビションファイトだと思っていて、事前にリハーサルをして猪木が勝つことになっていると思っていたという。そうすれば当時のカネで18億円という大金がアリに入ってくるのだから、日本へは観光旅行気分だった。

   だが、日本に着いて猪木側に「リハーサルはいつやるのか」と聞いたところ、「リハーサルはやらない。これはリアルファイトだ」といわれ、アリは怒り、リングの上で猪木を制裁してやろうと思ったという。だが、猪木側はアリ対策に奇襲を考え出したのだ。

   <「試合が始まってみると、こちらが想定していなかった事態が起こった。それは周知のように、猪木が自らキャンバスに座り込んだことだった。猪木の戦法に憤りを感じたことはない。むしろ敬服した」(アリのセコンドについたアンジェロ・ダンディ氏)>

   あの戦法はアリに対して敬意を表し、猪木がアリを強敵と見ていたから考えた作戦だったとアンジェロはいっている。<「面食らったアリは平常心を少々失ってしまった。私としては、何とか活路を見出そうとラウンドごとにあらゆるアドバイスを与えたものの、功を奏さなかった」(アンジェロ氏)

   世紀の凡戦といわれた2人の戦いだったが、意外にも2人は真剣だったのだ。

   蝶のように舞い、蜂のように刺したアリは、人種差別とも戦って大きな足跡を残して去った。晩年は「人前に出ることが私の挑戦」だったアリよ、あなたのことは決して忘れない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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