2024年 4月 28日 (日)

あらゆる手を尽くして情報を取るのが週刊誌...週刊文春は一方的に悪いのだろうか?

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   月曜日(2017年5月15日)の夜だったと思う。週刊新潮編集部から電話がかってきた。若い女性で、週刊文春が新潮の中吊りを火曜日の午後に不正に入手していた件について、コメントをもらいたいというのである。

   3時から友人たちと蕎麦屋で一杯飲んで、6時過ぎにオフィスへ戻ってウトウトしていたこともあるが、彼女が「そんなことが許されるのでしょうか」と息せき切っている訳がよくわからず、校了日の夕方に中吊りを手に入れて、それから取材しても、ろくな記事はできない。それに、私が編集長のときは、ライバル誌の週刊ポストの情報を手に入れようと、あらゆる手を尽くして集めたものだ。週刊誌も一企業と同じだから、ライバルの情報を探るのは当然の「企業努力」ではないか。

   そう答えたものだから、当然ながら、新潮の当該の記事に私のコメントは入っていない。

   週刊新潮は昨日(水曜日)の夕方、某週刊誌編集長から見せてもらった。「『文春砲』汚れた銃弾」というタイトルもすごいが、巻頭10ページ特集というのにも驚いた。

   週刊新潮側の怒りはよく見て取れる。新聞もテレビも、平素週刊文春にしてやられているからか、大騒ぎしている。私はこの記事を2回読み直した。だが、識者といわれる大谷昭宏や佐藤優、中森明夫たちが、「ライバル誌の広告を抜く行為というのは、週刊誌という媒体にとって自殺行為」(大谷)などと非難しているのが、よくわからない。

   その理由は後で触れるとして、週刊新潮を見てみよう。週刊新潮が、週刊文春側に情報が洩れているのではないかとの「疑念」を抱いたのは14年9月11号。新潮は朝日新聞の「慰安婦誤報」をめぐって、朝日で連載していた池上彰が「朝日は謝罪すべきだ」と書いた原稿を掲載しないとしたことで、連載引き上げを決めたという記事を掲載し、中吊りにもかなり大きく打った。

   この週の週刊文春の中吊りは池上の件には触れていない。だが、新聞広告には「『池上彰』朝日連載中止へ『謝罪すべき』原稿を封殺」のタイトルがあり、「記事中の池上氏のコメントはわずか6行で、急遽差し挟まれたような不自然な印象を読む者に与えるのだ」(週刊新潮)

   その上、週刊文春は校了日である火曜日の午後7時57分に「スクープ速報」としてこの記事をネット上にアップしたため、「それは週刊文春のスクープネタとしてまたたくまに拡散されたのだ」(同)

   池上も、週刊新潮の取材に対して、週刊文春から電話があったのは週刊新潮の取材があった後で、校了日の午後5時半だったと話している。週刊文春の新谷学編集長は最近、『「週刊文春」編集長の仕事術』(ダイヤモンド社)という本を出しているが(彼が書いたとは思えないほど読みどころのない本だが)、その中でも、

   「池上彰さんのコラムを朝日新聞が掲載拒否した件では、同日発売の週刊新潮も同様の記事を掲載していることがわかったので、校了日である火曜日の夜に『スクープ速報』を配信した」

   と書き、その結果、「週刊文春デジタル」の会員が爆発的に増えたとしている。

漏洩ルート突き止める執念

   そのほかにも、週刊文春に中吊りが流れている疑惑があると考えた週刊新潮は、週刊文春側に「不正を止めろ」と通告するのではなく、漏洩ルートを突き止めるための調査を続けた。

   週刊新潮が誇る調査力で、漏洩しているのは新聞広告ではなく中吊り広告。週刊新潮の中吊り広告の画像データから、そのPDFファイルがコピーされたのは、週刊文春編集部にあるコピー機であることが判明した。

   さらに、漏洩元はどこかを突き止めると、出版取次会社「トーハン」(東京)が、週刊文春の人間に渡していることがわかり、週刊文春の「雑誌営業部兼販売促進チーム」に属する30代の男性が、トーハンの人間から新潮の中吊り広告を受け取り、コンビニでそのコピーを取っているところを「激写」した。動かぬ証拠を手に入れた週刊新潮が、大々的に週刊文春の悪事を特集したというわけである。

   週刊新潮に直撃された新谷編集長は、いつもの歯切れの良さはなく、「入手しているかどうかの事実関係も含めて、情報収集活動については一切お答えしていないので」「うーん......。ま、だからさ......(苦笑)。あー。......難しい問題だよな、これな。確かにな......」と要領を得ない。

   たしかに佐藤優のいうように「中吊りを見て誌面を作るのは、道徳的に大きな問題が」あるのは間違いない。

   だが、先ほども触れたが、週刊誌といえども編集部員の数からして中規模企業ぐらいはある。梶山季之が書いた『黒の試走車』ではないが、ライバルが何をやっているのか、どんな情報を持っているのかを探ることは雑誌の浮沈、そこで生活しているフリーの記者、筆者たちの生存にかかわるのだから、あらゆる手を尽くして情報を取ることが一方的に悪いといえるのだろうか。

   新聞も昔は、抜いた抜かれたで一喜一憂したものである。ここで私が編集長時代の経験を話してみよう。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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