2024年 4月 24日 (水)

「小室スクープ」週刊文春批判は的外れ!朝日新聞も取材に来たけど・・・

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   朝日新聞が取材に来た。きのう25日(2018年1月)も書いたが、週刊文春の「小室哲哉不倫」報道についてである。のっけから、「週刊文春批判が強まってますが、フライデーのたけし事件のようにならないですか」って・・・。おいおい、そう来るか。あの時もビートたけしの不倫相手、女子大生の写真(目線は入っていたと思う)を載せたことで、たけし軍団が深夜、フライデー編集部に押しかけ、副編集長にケガを負わせた。

   当然、たけしは逮捕された。講談社は会見を開き、今回の事件は言論・表現の自由を弾圧する行為だという趣旨の発言をした。これに新聞が噛みついた。フライデーのやっていることはプライバシー・人権侵害が甚だしいのに、そんなことがいえるのかというのである。

   世論がこれに呼応し、総計600万部といわれた写真誌の部数は急落し、次々に休刊していった。週刊文春もそうならないか? なるわけないだろ。今回の小室の記事は裏取り、本人のインタビューと、取材はしっかりやっている。小室は「公人」だし、だいいち、週刊文春の中で引退するといっているではないか。今回に限って、週刊文春側に落ち度はない。

   ただ、週刊文春が不倫スキャンダルに力を入れ過ぎているとは思う。それは、不倫取材の一部始終をデジカメで撮り、それをワイドショーがカネを出して買うというやり方が週刊文春の大きな収入源になってしまったためだろう。ワイドショーに売りやすいネタを優先することで、ワイドショーの「下請け」に成り下がってきているのではないか。そのことは、私だけではなく、心ある編集者やライターたちも心配している。

   このところの大相撲スキャンダルや不倫報道は、週刊誌の独壇場である。何を書いても話題にならない朝日新聞は、小室の不倫騒動で週刊文春批判が盛り上がって、フライデーの二の舞になればと期待しているのだろうが、そうはならない。

「男は弱くて女は強い」仲良かった野村克也・沙知代・・・妻に先立たれた男の寂寞

   ところで、きのう25日、野村沙知代さん(享年85)の「お別れの会」が、彼女が好きだったニューオータニで行われた。スポニチによると1000人が集まり、野村克也さんが「俺のときはこんなに集まるだろうか」とぼやいたと報じている。私も行きたかったが、年初来の坐骨神経痛で歩くことがままならず、失礼してしまった。

   週刊ポストの野村インタビューで、妻に先に逝かれた男の心境を語っている。朝、沙知代さんが起き出してテーブルに突っ伏しているので、野村が「おい、大丈夫か」と声をかけると、いつものように強気な口調で「大丈夫よ」と返事をしたそうだ。それでもおかしいので救急車を呼ぶと、そのまま意識を失って逝ってしまったという。

   私もよく知っているが、この2人、信じられないくらい仲のいい夫婦だった。野村が妻に頼り切っていた。その妻が正月を前にしていなくなってしまったのだ。「いるとうるさいと思うけど、先に逝かれると寂しくて仕方ない。(中略)今年の年始は祝い事が一切なくて誰も来ないから、家でずっと一人でテレビを見ていた。あれほどお通夜みたいな正月は生まれて初めてだったよ」(野村)

   帰っても電気が点いていないと寂しいから、電気を点けたまま家を出るという。「夫婦間の危機は一度もなかった。いくら途方に暮れていても、女房の『何とかなるわよ』という一言で勇気づけられて救われたんです。男は弱くて女は強い。つくづくそう思います」

   夫婦というのは端から見ていてはわからないものだ。サッチーさん、私もお世話になりました。ゆっくりお休みください。

   病気の話ばかりで恐縮だが、今回の神経痛には参った。突然始まった右足の激痛は、よくこの患者が「足を切断してほしい」ほどの痛みだというが、しみじみわかった。強い鎮痛剤や座薬まで使ったが、効き目がない。2週間ばかり痛みに苦しみ、途方に暮れていた。このままいくと1月はどこへも行かない、我が人生最悪の月になりそうだ。

   だが、そんな痛みも、週刊現代の真屋順子の記事を読んで、まだまだオレはいい方だと考えるようになった。女優・真屋順子は萩本欽一の「欽ドン」などに出て、その上品な受け答えが大いに受け、売れっ子になった。その後、あまりテレビでは見かけなくなったが、幸せな老後を送っているのだろうと思っていた。だがそうではなかったと週刊現代が報じている。

   「早く殺して!」

   そう、母、真屋順子に繰り返し懇願されたと、長男・健一郎が語っている。

   壮絶な闘病生活の末、昨年(2017年)の12月28日に「全身衰弱」で亡くなった。始まりは2000年の12月23日、ホールで司会をしている途中で突然倒れた。脳出血だった。真屋が目を覚ましたときは、左半身が全部麻痺。数か月のリハビリで補助具で体を支えることができるようになった。

   だが、14年に脳梗塞を発症する。以来15年4月まで脳梗塞を5回繰り返したというのである。何と残酷なことを......。懸命にリハビリをした。周りの者に元気を与えているという使命感があったという。

   そんな中、今度は夫にがんが見つかり、余命1年と告げられるのだ。夫の葬儀の後、真屋は自宅で転倒し骨折してしまう。その入院先で、今度は心不全が発覚し、その治療後に腹部大動脈瑠も発見されるのである。点滴を打っても体が受け付けない。衰弱して、後は自分の筋肉と骨を消費していくしかないのだそうだ。

   長男は痛みに苦しむ母親を見ていて、亡くなった時ホッとしたという。正直、そうだろうと思う。あの一世を風靡した番組で、一人上品な母親役(だったと思うのだが)を演じていた真屋順子が、これほど苦しい老後を過ごしていたのかと思うと、何ともいえないものがこみ上げてくる。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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