2018年 11月 17日 (土)

<ニッポン国VS泉南石綿村>
8年に及ぶ裁判闘争と被害者の心の叫びを記録 監督が見つめた平成日本の自画像は

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「ニッポン国VS泉南石綿村」(疾走プロダクション)
「ニッポン国VS泉南石綿村」(疾走プロダクション)

   『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』のドキュメンタリー映画作家・原一男監督の全世界が待ちわびた新作は、「大阪泉南アスベスト訴訟」に迫り、8年の撮影期間、2年の編集期間を費やした215分の力作だ。

   石綿(アスベスト)は肺に吸い込むと、長い潜伏期間の末、肺がんや中皮腫を発症する。石綿工場の元労働者とその家族らが、国を相手に損害賠償を求める姿を追い続け、政府を相手に戦う実像と被害者の心の叫びを記録。映画は2部構成となっており、第1部は発病した元労働者へのインタビューが中心となっており、地裁での勝訴、高裁で敗訴、最高裁での勝訴と裁判での一進一退の攻防が明らかにされる。第2部では、原告らが厚生労働省に赴き、当時の厚労相との面会を求めた21日間を記録、役人の機械的な対応にフラストレーションを募らせる原告の表情を切り取っていく。

原一男は己の幸福を追求する「生活者」に初めてカメラを向けた

   映画作家原一男は、これまで一貫してカメラを「表現者」に向け続けてきた。原監督の持論として、世界は「生活者」と「表現者」に二分される。生活者とは、己と己の家族の幸福を追求する人々であり、監督自身がこれを望まないので、生活者にはカメラを向けてこなかった。表現者とは、あらゆる貧しさに苦しむ弱者の幸せを追求するために生きる人を指す。

   しかし今回は、監督自身が「否定」してきた、己の幸福を追求する側にカメラを向けた。しかも確信犯的にではなく、テレビ局からの依頼をきっかけとするものだ。対象が不明確なものにカメラを向ける事によりテーマを探していくスタイルであり、監督自身の葛藤は作品の随所に現れている。

   監督はどのようなテーマを見つけ出したのか。それは観る者に委ねられてはいるが、監督自身はしっかりとメッセージを送っている。8年に及ぶ裁判闘争の記録は、この間に起きた「日本の表情」にも映る。己と己の家族の幸福のためだけに生きていると、世界そのものの変化に鈍感になってしまい、無関心を増長してしまう。監督は、その傾向を観客に投げかけるだけではなく、はっきりと、その傾向を「罪」と訴えているように思える。

   平成の日本人の自画像として、己の半径のみに関心があり、外の出来事に無関心を決め込むのは格好悪いじゃないかと。『全身小説家』で監督が追った井上光晴は「1人の人間が持っているエネルギーの質はみんな同じでも、若い人と年寄りとでは生きている時間の長さが違うので、年を取っている方が過激になる」と監督自身によく語っていたという。

   本作と並行して製作を進めて12年となる水俣病の映画の完成も間近であり、72歳の表現者のエネルギーは凄まじい。

オススメ度☆☆☆☆

                   

丸輪 太郎

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