「日韓」なぜフランス・ドイツのような修復ができないの?コロンビア大教授が期待する「若い世代の交流」
先日、週刊ポストが掲載した「韓国は要らない」特集に、嫌韓を煽ると批判が相次いだ。週刊ポストも一応、お詫びらしきものを発表したが、それでは収まらないようだ。
サンデー毎日に、これからは小学館に書かないと宣言した内田樹が「週刊ポストへの手紙」を寄せている。<以前「新潮45」の騒ぎの時にも同じことを書いた。あえて世間の良識に反するような「政治的に正しくない」発言をなす時には、それなりの覚悟をもって臨むべきと私は思う。人を怒らせ、傷つける可能性のある文章を書くときは、それを読んで怒り、傷ついた人たちからの憎しみや恨みは執筆したもの、出版したものが引き受けるしかない。それが物書きとしての「筋の通し方」だと思う。その覚悟が無いのならはじめから「そういうこと」は書かない方がいい>
<済んだことを掘り起こして、傷口に塩を擦り込むようなことはしたくはないが、それでもこれが出版人としての矜持を欠いた態度だったということは何度でも言っておかなければならない。
それなりに現場の経験を積んできたはずの編集者たちが示したこのモラルハザードに、私は今の日本のメディアの著しい劣化の兆候を見る。
なぜ彼らはこうも簡単に謝罪するのか? 理由は簡単である。別にそれらの言葉は彼らが「職を賭してでも言いたいこと」ではなかったからである>
<いま日本のメディアには非常識な言説が瀰漫(びまん)している。だが、これを止めさせる合法的な根拠は今のところない。たとえ法律を作っても、その網の目をくぐり抜けて、非常識の言説はこれからも流布し続けるだろう。
私たちにできるのは「それはいくらなんでも非常識ではないか」とか「それではことの筋目が通るまい」いうような生活者の常識によって空論や妄想の暴走を抑止しすることだけである。そのような常識が通じる範囲を少しずつ押し広げることだけである>
いつもながらの内田節が冴え渡っている。
文藝春秋10月号の藤原正彦の「日本と韓国『国家の品格』」も相当程度の悪い嫌韓記事だと思うが、ここでは触れない。週刊ポストは、連載執筆者だが、今回の特集には厳しく批判している作家の葉真中顕に寄稿させている。葉真中はまず、最大の問題は見出しにあるという。なかでも「10人に1人は治療が必要」というのは、<"韓国人には特定の精神疾患が多い。だから付き合わない方がいい"という文脈を含んでしまう>から、精神疾患当事者への差別も含み、二重の差別にあたる。
謝罪文を出したのなら、まずやるべきは、「なぜあのような記事が出たかの検証と、再発防止の取り組みだろう」と主張する。
こうした時、批判する人間を登場させて、十分にいわせるというのはメディアがよくやる「ガス抜き」の手法である。ウチはこういう人にも誌面を提供しているんですよという"フリ"に騙されてはいけない。
ニューズウイーク日本版に、コロンビア大学のキャロル・グラック教授が「日韓が陥る『記憶の政治』の愚」という一文を寄せている。彼は、日韓双方が正しくて間違っているとして、長く敵対してきたフランスとドイツが第二次大戦後になぜ修復できたかを検証するべきだといっている。
双方の市民社会団体と草の根運動、ドゴールとアデナウアーという、今の日韓とは比べ物にならない(筆者の個人的な考え)優れた指導者、冷戦という背景があったものの、<その関係を強固にしたのはその後の教育の変化と、若い世代を中心に社会のあらゆるレベルで交流が深まったこと>(グラック)であったという。そして、<日本と韓国が歴史の溝を埋めようとするなら、植民地時代の知識を学んで歴史的事実を認めることがおそらく出発点になるだろう>といっている。
日本の世論調査でも、若い世代は韓国が好きという率が多く、年寄りになるにしたがって韓国嫌いが多くなる。韓国からの観光客が減っているなら、日本の若者が大挙して韓国へ行けばいい。飯はうまいし、女性たちの肌はきれいだし、何しろ3泊2日の旅行でも2万円でお釣りがくる。日本と同じでこれからがいい季節だ。
錦戸亮の次はだれ?村上信吾も長瀬智也もジャニーズ事務所にうんざり
週刊文春は、錦戸亮のジャニーズ事務所退所はまだ序の口だという。関ジャニをまとめる村上信五は「もうやってられへん!」いったというし、TOKIOの長瀬智也も退所が噂されているそうである。
その他にも、KinKi Kidsにも解散危機が囁かれ、来年25周年を迎えるV6もグループとしては開店休業状態。錦戸の退所がジャニーズ事務所の終わりの始まりになりそうである。
週刊新潮が相も変わらず、秋篠宮家の噂話をやっている。今週は佳子さんの巻である。彼女は、15日(2019年9月)から初めての海外公式訪問先となるオーストリアとハンガリーへ行っている。
日本のメディアも大挙して現地取材をしているそうだが、週刊新潮によれば、彼女の宿泊先はいずれもその国を代表する5つ星ホテルだという。訪問先も、有名な観光地を訪れるゆったりと楽しそうなスケジュールだが、その割にはスピーチの予定は2回しかないそうだ。
もっと過密で、多くのスピーチをしろといいたいのだろうが、いいではないか。皇室といっても、まだ遊びたい盛りの若い女性なのだから、向こうの人たちと交流を深めてくれば、後々それが生きてくる。
私もハンガリーは好きな国だ。もう一度、ドナウ川の夕日を眺めながらトカイワインを飲みたいものである。