戦後、裕一は一転して、平和への祈りを込め「長崎の鐘」の作曲をした。それは、戦時歌謡を作ったことで戦争に加担してしまったことへの贖罪でもあった。そして1964(昭和39)年、裕一が55歳の時、東京オリンピックの入場曲「オリンピックマーチ」を作曲する。「日本を元気づけるような曲を書きたい」と考え続けていた裕一の集大成であった。
(NHK総合あさ8時)
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