「24時間テレビ」改革―チャリティーとエンターテインメントの融合は1992年から始まった
今年も日本テレビの「24時間テレビ」の季節になりました。2019年8月の「24時間テレビ」も素晴らしい内容でしたが、今日は私が番組制作に携わっていたときのことをお話ししましょう。
私と、日本テレビの現社長の小杉善信と2人が「24時間テレビの改革をしてくれ」と、当時の編成部長の加藤光夫に言われたのは、15回目を迎えた1992年のことです。私と小杉、制作会社「ハウフルス」の菅原正豊氏と3人で考えた、「新24時間テレビ」のコンセプトは2つありました。
1つ目は「24時間を通して1本の生放送であること」。2つ目は「少なくとも、1年に1回は自然な形で、身近にチャリティーというものを考えてみよう」です。2つ目のコンセプトを具体化するために、番組パーソナリティーにダウンタウンをキャスティングしました。
生放送の当日のオープニングで、武道館の広いステージにダウンタウンだけが、ポツンと立っています。「俺たち、何で、今ここにいるんだろう」という言葉から、「新しい24時間テレビ」が始まりました。私たちは「24時間の内に彼らを泣かせたい」と密かに思っていました。
2つの大きなコンセプトを実現するため、さまざまな企画を考えているときに、「チャリティーとエンターテインメント(音楽・スポーツ・お笑い・ドラマ)が合う」ことがわかってきました。そして実現したのが、間寛平さんの「24時間マラソン」、富士登山・遠泳などです。
名曲「サライ」はこうして生まれた
さらに、番組のテーマソングを作ろうということになり、加山雄三さんと谷村新司さんに番組の放送中に作ってほしいとお願いしました。その曲が、今も歌い継がれている「サライ」なのです。また、「武道館をカラオケの殿堂に」という菅原氏が考えたコンセプトのもと、各時代のヒット曲をいろいろな方に歌っていただきました。
印象的だったのは、番組のエンデイングです。24時間テレビの顔とも言える萩本欽一さんが、武道館のステージに登場し、一言「みんなでサライを歌おう」と呼びかけたときでした。こうして、皆さんの努力と協力、日本テレビの総合演出の五味一男の尽力もあり、改革は大成功し17.2%という高視聴率を取りました。
ダウンタウンの2人を「24時間の内に泣かせたい」と思っていましたが、彼らは泣きませんでした。しかし、翌日、私が「笑っていいとも!」を見ていると、レギュラー出演していたダウンタウンが、「サライ」を歌い出したのです。私は「やった!」と叫び、すぐに仲間に連絡をしました。