2024年 4月 28日 (日)

秋篠宮夫妻が小室圭に念押しした『今後のこと』と眞子さんの「人間宣言」――ほか5編

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   10月18日(2021年)、小室圭が秋篠宮家を訪問した。約3時間半近く滞在して、秋篠宮夫妻に帰国の挨拶と眞子さんとの結婚について話し合った後、眞子さんと3年数か月ぶりに再会を果たした。毎日スマホなどで話をしていても、目と目、手と手を合わせて語り合うのとは違うはずだ。何を話し合ったのだろう。

   秋篠宮夫妻とのやり取りの詳しい内容は聞こえてこないが、メディアはさまざまに報じている。スポーツニッポン(10月19日付)は、<小室圭から挨拶を受けた秋篠宮夫妻は、その後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での慰霊祭に参列した。宮内庁関係者は「公務から戻られたお二人には笑顔が見られた。今後について良い話し合いができたのかもしれない」と話した>と、話し合いは穏やかだったのではないかと報じている。

   だが、週刊新潮はやや懐疑的である。<「昼過ぎから公務が入っていたこともあり、両殿下が小室さんと向き合われたのはせいぜい30分程度。その後は御仮寓所へと戻ってしまわれ、あとはもっぱら眞子さまと小室さんとで記者会見の打ち合わせなどをなさっていました」(秋篠宮家の事情を知る関係者)>

   秋篠宮とはどのような会話が交わされたのか。<「秋篠宮さまは、「この日、小室さんに対しては"せめて26日の会見では、しっかりと自分たちの言葉で説明するように"と、説いておられたというのです」(同)>。「門前払いにして会わない」のではないかと思っていた新潮にとって"予想外"の展開だったようだ。

   その26日に行われる眞子さんと小室圭の会見は、新潮によれば、場所は皇居と至近のホテルで開かれ、この際の費用は「お二人の"お手元金"」(皇嗣職大夫)で払われるそうだ。宮内記者会と雑誌協会、外国特派員協会があらかじめ作成・提出した計5つの質問について答えるが、アドリブの質問も認められるそうだ。新潮は<小室さんや母の佳代さんにまつわる数々の疑惑については、種々の制約もあって踏み込めそうにない>と、やや諦めの様子。

   ならば新潮は秋篠宮批判へと切り替える。眞子さんが両陛下に挨拶をする「朝見の儀」は、眞子さんが私的に参内し、挨拶をする形になったのだが、天皇は「朝見の儀」を執り行い、将来、眞子さんが皇室に携わる機会があった場合、正式なご挨拶を経ていれば、本人も心やすいだろうと考えていたというのである。その天皇の深い考えを、秋篠宮は一存で無にしてしまった。それは天皇と秋篠宮との意思疎通がないからだと、自分の意志ばかりを優先させてしまう秋篠宮のやり方に異を唱えている。

悠仁さんの帝王学嫌いで急浮上した『愛子天皇』!12月1日には晴れて20歳

   週刊文春は話し合いの内容には興味がないのか、小室圭が呼んだ美容師は南青山の「T」という美容院の店長で、ここの支店にはかつて、皇后雅子さんやその家族も訪れたことがあるという話から、やはり秋篠宮批判へと向けられている。将来の天皇になる息子の悠仁さんが、姉の眞子さんの結婚問題が膠着状態だったころ、情緒不安定な様子をたびたび見せていたという。母親の紀子さんに「お前」と口にしたり、職員と缶蹴りで遊んでいて負けると、普通ではないほどの大声を出したりしたことがあったそうだ。

   もともと"気楽な次男坊"として生まれ育ってきた秋篠宮は、「自分は、天皇になるための教育を受けていない」とたびたび強調してきたが、「ご自身が、次代の天皇である悠仁さまを育てることに自信がないようにお見受けします」(秋篠宮家関係者)

   ご自分が帝王教育を受けていないため、悠仁さんの教育に不安があるといういつもの論調である。そしてこれもいつも通り、それに比べて溌剌として、天皇皇后とはもちろん、学習院大学でも、他の女子学生たちと楽しそうに話をしている愛子さんはと褒めたたえ、12月1日に20歳になれば、「国民の間で愛子さまに人気が集まるのは自然の流れでしょう」(宮内庁担当記者)と、愛子天皇の実現を国民も待望していると論を進める。

   たしかに、悠仁さんが生まれる直前までは、女性天皇実現のために皇室典範改正の気運が高まり、当時の天皇もそれを望んでいたといわれる。だが、悠仁さんが生まれる前から、女性宮家創設に強く反対の安倍晋三が首相になり、その議論は頓挫してしまったと、眞子&圭問題から愛子天皇へと、文春の関心は移ってしまったようだ。

   私は、26日に行われる会見で眞子さんは高らかに「人間宣言」をすると思っている。「これからは一人の人間として、小室眞子として生きていきます」

   前途洋々たる第二の人生に涙はいらない。眞子さんの笑顔さえあればいい。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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