2024年 4月 25日 (木)

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
30. クリスマスイブに第1号ADSLユーザー

「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   商用試験サービスはなかなか開始されなかった。開始時期が当初は11月に予定されていたが12月にずれ込んでいた。

   この最も深刻な第一の原因は、既存電話ユーザーがADSLサービスを受ける場合にNTTが電話線使用料を新たにユーザーに課金できるかどうかを巡り、TMCとNTTの間に深刻で原理的な対立があり、郵政省をも巻き込んだ構図となっていたからである。これは前にも触れたが、取り敢えず別途800円の課金を許すという事で妥協した。

   第二の原因は、SDSLを巡る対立であった。SDSLはNTTが自らの利益の源泉、虎の子である専用線サービスに真っ向から競合すると認識し、相互接続を頑強に拒否していた。これもTMCは一日でも早いサービス開始に漕ぎ着けるため、妥協した。

   しかし、2つの妥協のうち、前者は2001年からは200円に、後者は2000年中途から自由化されることで、戦略的に結局は勝利した妥協であった。我々にとっては、年内サービスの開始が悲願であったのだ。

   12月上旬、TNCはNTTと相互接続協定に調印する。NTTもこの調印内容に添ったADSL商用試験サービス開始を内外に発表する。これにより、日本のADSL元年はめでたく幕を開けることとなった。マスコミはこの経過を淡々と報じていたが、本当はこの幕開けが本物であるか固唾を飲んで見守っていた。

   1本でもよい、NTT以外の事業者がADSL通信のサービスを実現することが本当にできるのか?本当に幕は開いたか?正月記事にファクトをもってブロードバンド元年と書いてよいのか?この盛り上がる期待感に見事に答えてみよう、そして口先だけでない実力を世に見せてやろう、こう我々は奮い立った。

   我々としても、1本でもよい、NTT電話線で本当にADSL通信とインターネットアクセスを実現することは創業以来の悲願であったのだ。

   距離の不安、ISDN回線からの干渉ノイズへの不安など、開通不能という事態も十分に危惧されていた。

   12月24日のクリスマスイブ、その日「めたバー」で第1号のADSL開通の実演をしてみよう。そして、これを「めたバー」の開所式典とし、また本邦初のADSL開通式典として演じきってみせよう、そう我々のシナリオは組み立てられていった。

   予想通り、四谷電話局の開局は遅れに遅れた。元々NTT側は、接続協定調印によって初めてあらゆる開局に係わる手順が許されるというのが建て前であった。

   それによると、契約締結から1か月程度はかかって不思議ではない。たったの2週間で、工事を完了し、ラックとDSLAMを運び込み、KDDのATM回線と接続するという様々な段取りが実施可能だったのだろうか。

   正直に白状すると絶望的に不可能に近い状況であった。だが、ここで杉村君が超能力に近い手腕を発揮する。元NTT社員という顔と人脈をフル動員して、表のパスでなく裏のパスで、つまり現場工事者や局内管理者に話をつけて、本社の官僚的手続きでは考えられないスピードで、開局を実現してしまった。MDFのジャンパー線工事も、「めたバー」の固定電話番号に合わせて終わらせてしまった。

   物理的な接続を無事切り抜けても、それだけで全てが終る訳ではなかった。様々なトラブルが発生した。あれやこれやの試行錯誤が繰り返された。

   ようやく式典の前日になって、「めたバー」に置かれたパソコンは、ADSL通信によるインターネット接続になんとか成功した。

   パソコンのブラウザがTMCのHPを検索する。やった。どっと歓声が上がった。私もその中に居た。コンテンツの高速ダウンダウンロードも問題なく早い。局に張り付いたTMCの技術者との携帯電話を通して、安堵の声が漏れてきた。

   こうして1999年12月24日、ADSL開通式典が郵政省及びNTT、KDDを始めとして多くの関係者、マスコミが参加する中で挙行された。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

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東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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