【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
48.ああ!KDDはついに起たず

印刷
あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   我々のパートナー探しの日々は延々と続いた。KDDIが意中の本命であった。DDIと合併前のKDDとは前年のADSL商用試験サービスを通して既に太いパイプが形勢されていたことは、先に記した通りである。当時の大手通信キャリアの中では、唯一、インターネットに積極的な対応を取っていた企業であった。同社はブロードバンド通信時代の到来を予期し、そのための組織的な準備に着手していた。

   しかし、国際通信の独占国営企業から民営化されてほぼ10年が経過しても、戦う国内通信事業者としての自立は不十分で、官営時代の所謂「お公家様」と呼ばれた体質はそのままであった。

   事実上KDDを買収する側となるDDIは、傘下の企業でもあり、企業統合の主役のひとつでもあるIDOが移動体通信で関西を中心としてドコモを激しく追撃していた。

   また、日本テレコムもJR時代の国内通信基盤を生かして携帯電話でJ-Phoneを擁立するまでに至っていた。このような中、KDDは移動体のみならず国内通信基盤においても、競争力を形成することにいずれも失敗していた。

   NTTの光ファイバー網、地域アクセス網、いずれも、結局はNTT施設に依拠する状況は変わらなかった。そこにTMCが登場したのである。メタル線でも光ファイバーでも、徹底的なNTTアンバンドルが進む局面で、真にNTTからの自立を目指してTMCとのより深い提携関係を期待するのは当然の事と思われた。

   伊那実験と試験サービスでの共闘は、偶然ではなかったのである。そしてTMCからの大規模なADSLライン買付けと技術移転をいかに行なうか、年明けには本格的な商談が双方によって開始されかけるまでに煮詰まっていた。

   しかし、2000年10月にDDIとの合併構想が発表され、翌年4月の合併に向けての社内抗争がDDIとの間に繰り広げられる過程で、KDDは経営のリーダーシップを殆どDDIに奪われてしまう。そもそもKDDの経営は、海外との接続を専門にする、いわば通信外交を担う優雅な立場に身を置いていた。

   つまり、一種の貴族である。それ故、争いを好まず、経営政策についてはDDIの顔を立て、自らの保身に走った。DDI出身の小野寺社長だけが合併後の戦略を語れたのである。

   たまらなかったのは、KDD内部の経営政策担当者や経営革新派であった。その中にTMCとの本格的な連携を深めようとしていた人達がいた。KDDは、殆ど戦うこともせず、DDIの軍門に降った。

   KDD人脈の解体と排除が一挙に進んだ。池田執行役員が追われるようにアッカに移籍したのはすでに前年のことであった。DDIの狙いは、携帯電話事業強化に向けたKDDの解体再編にあった。来たるべきマイライン戦争への備えもあったろう。固定電話の時代はもう終わるとの経営上層部の判断があった。

   彼等は、電話事業以外の固定通信網については、基幹網もアクセス網も、アンバンドリングへの機運にほとんど無関心だったようだ。なにしろ、DDI総帥の稲盛氏が私たちに言ったように、我々が取り組んだADSL事業は単に「良いアイディア」でしかなかったのだ。

   しかし、その恩恵を彼等はたっぷり享受した。再編成されたKDDIの携帯電話事業AUがドコモに先駆けで第三世代高速サービス(固定料金を除いてはブロードバンド)に踏み切れたのは、基地局への固定通信網にアンバンドルされたNTT光ファイバーがふんだんに使えるようになったからである。

   このように、私が本格的な提携話を持ち込んだとき、KDDにはもはやそれの受け皿となる基盤がなくなっていた。ただ、親しくしていた経営企画部門の方々は、真剣に骨を折ってくれた。しかし、何十億円の事業資金が絡む資本提携まで進むような案件は、新生KDDIでしか決定できないことは明らかであった。

   なお、KDDのISP部門の関連会社、KCOMは、我々を見捨てなかった。ホールセールス先として3月には正式に契約を交わしてくれた。社長の阿久津さんには心から感謝したい。

   我々がステップアップする機会はこうして失われた。もし、KDDの合併が見送られていたか、半年でも延びていたら、TMCの最後の一戦はここから始まったと思う。もしそうなったなら、強力なADSL通信網を足回りとして備えた、見違えるように強力なKDDIとして今日を迎えていたと信じて疑わない。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語  【目次】はJ-CASTニュースへ

インヴァスト証券

   FX投資家の中には、専門家顔負けの熱心な投資家がいる。おそらくはそんな人が「勝ち組」なのかもしれないが、少なくとも初心者が「儲かった」という話はあまり聞かない。FX投資歴5年のサラリーマン・高山俊之さん(仮名)もそんな一人だ。続きを読む

PR 2016/11/17

役立つねっと

   社内研修や業務サポートをもっと手軽で簡単に。オール優を導入すると ビジネスが変わります・・・ 続きを読む

PR 2016/11/30

  • コメント・口コミ
  • Facebook
  • twitter
コメント・口コミを投稿する
コメント・口コミを入力
ハンドルネーム
コメント・口コミ
   

※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメント・口コミは掲載しない場合があります。
コメント・口コミの掲載基準については、コメント・口コミに関する諸注意をご一読ください。

注目情報

生き残るために「仕事くれ!」次はあなたの会社へGO!

カス丸「クビ」の崖っぷち!?

向田邦子、阿久悠、秋元康の作品から、現代の女性像を紐解く。

「女性と文化」WEB公開講座
追悼
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中