【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
53.気になったSBI北尾氏のひとこと

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あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   SBIとの交渉の実質の担当者となったのは、ソフトバンクグループの中にあって様々なメディア関連企業との事業連携を実現して来た橋本太郎氏であった。

   彼の肩書きは実に豊富だった。主だったものだけでも、ソフトバンクブロードメディア(株)社長、(株)DTHマーケティング社長、アカマイ・テクノロジーズ・ジャパン社長といった具合である。

   孫会長が唱えるネット財閥の形成の意向を受け、グループ内にインターネットコンテンツ事業部門を新たに設置、成長させるべく彼は一身を捧げてきたかの感があった。その側近に、胡澤君という優秀な若手がいた。

   この両君はTMCのADSL事業の将来性について非常に強い関心を示し、ブロードバンド・コンテンツをコンシューマーに届ける事業の展開基地として高く評価してくれていた。

   窮迫していた資金繰りやNTT地域会社との苦闘も、しっかりした財務的な基盤を確保すれば乗り越えられない程の苦境ではないとの理解を示していた。

   社内監査(デューデリジェンス)はすでに小野氏主導で終了していて、あとは資金調達の目途をつける最後の詰めに入っていた。5月下旬の段階で、最も可能性の高い営業譲渡先として私は期待をつないでいた。この買収資金の出所が投資会社のSBIだった。総額50億円程度は覚悟していたようで、我々はSBIの最終決定をじりじりしながら待ちつづけていた。

   このプロセスの最中に、あの朝日新聞記事が出た。一瞬、私はこのスキームがついえるのでないかとの懸念を持ったが、暗に相違して、最終決定は加速されたようだ。

   早速、翌日30日に、私はSBIの役員会に臨席するように依頼された。行ってみると、北尾社長が待っていた。これで決ったなと前日以来の混乱でやや自信を失いかけていた私は安堵の胸をなでおろした。

   記事を読んでの最後の首実検であることは確かであった。私はほとんど何も喋る機会を与えられないまま、役員会を退席した。北尾さんは茫洋としながらも的確なことをいう人だなという印象が残った。

   その後ライブドア事件のテレビ報道で、再度、彼の顔を見たが、当時の事を思い出し、何となく思い当たることがあった。彼の社会的事件に対する鋭敏さである。正論を説く姿勢である。TMCについても、白馬の騎士ならぬ救済の騎士を演じようとしたのが、彼の動機だったのかどうか、時が来れば確かめてみたいと思っている。

   橋本氏、胡澤氏はこの役員会への出席を我が事のように喜んでくれた。大勢は決った。あとは細部の技術的な話が残っているだけだと言われた。

   だが、あの三井物産で苦い思いをした私は疑い深くなっていて、役員会の会話で気になることが1つ残っていた。それは、「ソフトバンクもADSLを始めると言っているが、この件とは独立だよな」という北尾氏の念を押す発言であった。何かあるな、と私は直感しつつ、私はジャフコなど大株主への現状報告や債務繰延べ先への弁明といった日常の中に没入していった。

   有線ブロードネットワークス(現株式会社USEN、有線BNと略す)からは、新聞記事に呼応したSBIのようなアクションはなかった。その時点で、有線BNとの交渉もSBIに負けず劣らずの段階にあった。

   総帥の宇野社長とのざっくばらんな直接の会話をする機会もあったという点では、こちらの意志決定がむしろ早くても不思議はなかった。有線BNは4月にNASDAQジャパン(現ヘラクレス)への株式上場を果たした後であり、投資資金には事欠かかない筈だ。当時、この会社の伝統である通信回線自前敷設主義を光ファイバーでも実現すべく活気が漲っていた。ユーザーに直結するアクセス網については、どんな通信キャリアよりも貪欲であった。だが、同社の誕生の経緯にかかわるメタル回線(同軸線)からは離れたいと思っていたようだ。光ファイバーによるブロードバンドが今後の本命であると考えていたようである。

   しかし、その時点では、光ファイバー敷設に邁進という感じではなく、他の通信事業者にはない特色である豊富なコンテンツ所持という優位を如何にブロードバンド新時代に維持してゆくか、多方面で模索中であったのだろう。

   それでもTMCが既に獲得していたNTTダークファイバーを優先的に利用できる地位を獲得する事が彼らの最大の関心事項であったには違いない。東京ふぁいばあ通信の社長となっていた杉村君は、ここを攻め立てて大型投資の必要性を盛んにアピールしていた。

   しかし三井物産の沼倉氏やSBIにおける橋本氏のような明確なリーダーシップは、彼らの中に見出す事が出来なかった。

   どちらかといえば、KDDに似て、全体の合議を積み重ねてゆく姿勢という部分で非常に似通って感じられた。しかし、交渉の度に、一歩一歩前進している実感はKDDの時とは違っていた。

   これは時間がかかるだろうと思われたが、社長の宇野氏の決断で、一気に決着というコースもありえるかも知れなかった。それは、TMCの既存ADSL事業でなく、新たに光ファイバーアクセス網を構築する事業としての可能性を先買いする決断がついた時点であろう。

   TMCの財務状況監査などは、例により、小野君の手で終了したも同然であったから、有線BNもSBI同様、いつ事業譲渡契約に突入してもおかしくなかった。

   だが、この週、彼らは動かなかった。もし、彼らが本当にTMCを買収する心づもりがあれば、これは致命的な失策だったといえる。真偽のほどは分からないが、後にソフトバンク内の情報として密かに耳に挟んだ話だが、「宇野氏が孫氏にぜひ東めたを譲ってくれという申し入れをしたが、孫氏はこれを断った」そうだ。

   勿論、本人に確かめたことではないが、あっても不思議でない話だと思う。有線BNは本気で買収に動いたと信じている。前に述べた交渉条件をのむなら、私にとって譲渡先はどちらの会社いずれでも良かった。早いものの順、これが交渉原則であった。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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