パラリンピック見る目が変わる 義足アスリートのすごい挑戦
南アフリカのオスカー・ピストリウス(21)は、ひざから下がない。病気のため生後11か月で切断した。しかし、義足のままアウトドアスポーツやダイビングに挑戦し続け、17歳のとき、競技用の義足に出会って、スプリンターになった。はがねの義足が刃のように見えるところから、「ブレード・ランナー」と呼ばれる。
「健常者と競えるとはすばらしい」
その年のアテネ・パラリンピックの200メートルで世界記録を出して金メダル。そこから健常者と走りたいと思い定めて昨2007年7月、ローマでの競技会で実現させた。400メートルで、スタートでは出遅れたものの、最後の直線100メートルでなんと6人をごぼう抜きして2位に入った。
世界中が驚いた。が、同時に「バネなど人工的な力を使った機器の使用」を禁じた競技規則に触れるのではないかという疑義が出た。ドイツの研究者の調査をもとに(末尾にメモ)、国際陸連は、「国際大会への出場は認められない」と決定した。オスカーは異議を申し立て、アメリカの研究者の調査をもとに、スイスのスポーツ仲裁裁判所の裁定にかけた。
そして今年2月、裁判所は、「人工的な力とはいいきれない」として、オスカーの競技出場を認めたのだった。オスカーは北京五輪を目指して7月の国際大会に挑んだが、参加標準記録に0.3秒及ばず3位に終わった。
オスカーは、「スポーツは人を区別するものではなく、つなげるものなんです」といっている。むろん、9月6日からの北京パラリンピックでは記録を目指す。
障害者アスリートのレベルアップはめざましい。補助具の高性能化やトレーニング方法の進歩が支えているのだが、その結果、健常者との垣根が一層低くなってきているという。
ゲストは、シドニーの車椅子バスケットの全日本総監督だった高橋明。
「障害者のスポーツは、リハビリの成果を競うものとして始まったのだが、健常者と競えるとはすばらしい」という。
また、義足の進歩では、「走り幅跳びで健足で踏み切って4メートル60だった選手が、義足で踏み切ったら1メートル30も伸びたというのがあります。推進力のある補助具ですね」という。