2024年 4月 26日 (金)

本田圭佑の体調不良「レーシック手術の失敗」?見え過ぎて頭痛などの後遺症

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<「インタビューを受けている本田は普通じゃない表情をしていました。右目は瞳孔が開いたかのように見開いており、逆に左目は沈んだように光が薄い。眼力が売りだった彼の精彩のない表情に驚きました」>

『週刊文春』で本田圭佑(CSKAモスクワ)をよく知るJリーグ関係者がこう語っている。3月26日(2013年)に行われたブラジルWC最終予選のヨルダン戦で、日本代表は格下相手に敗れ去った。コンディシヨン不良のため代表未招集となっていた本田不在の穴が大きいことを浮き彫りにした。

   3月25日に放送されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出た本田の表情はたしかに冴えなかったが、そこにはこんな「疑惑」があるというのだ。先のJリーグ関係者がこう指摘する。

<「体の頑丈さが売りだったはずの本田が、今年になってから発熱や腹痛などケガ以外の理由でも試合を欠場することが多くなっていた。実はサッカー関係者の間ではこうした体調不良は、彼が受けたレーシック手術の後遺症が原因なのではないかという疑惑が囁かれているのです」>

本田は昨年6月に視力矯正のレーシック手術を受けている。その手術により視力は0.4から2.0に改善され、そこのクリニックの広告キャラクターに起用されている。眼科専門医が本田のテレビ映像を見て、判断が難しいとしながらも、2.0は「過矯正」の可能性があると指摘している。強いメガネをかけると頭痛がするなど、体調に影響が出るのと同じだそうである。

   私の友人にもレーシック手術を受け、視力は戻ったが、強い光にあたると目が痛くなり、開けていられないために悩んでいるのがいる。レーシック手術が一般的になりつつあるが、必ずリスクがあるということを知っておかなければいけない。

   これを読む限り、レーシック手術が原因かどうかわからないが、日本サッカーの『至宝』本田の1日も早い回復を祈りたい。

新歌舞伎座の奥で繰り広げられる俳優たちの「あいつだけは許せん」

   新装なった歌舞伎座はチケットが取れない大入りが連日続いている。私は歌舞伎に対する知識はないが、1度は見てみたい気はする。『週刊新潮』が巻頭で「梨園の恩讐人間ガイド」という特集をやっている。これを読めば、歌舞伎見物がもっと楽しくなるかは保証の限りではないが、覗いてみるとしよう。

「歌舞伎座の上には守り主がいる。後ろにあんなに高いビルができたら、舞台の神様も降りてこないよ」

昨年10月、「新春浅草歌舞伎」の取材会で市川海老蔵(35)がふと漏らした言葉だそうである。週刊新潮は歌舞伎座にまつわる因縁話をこう書いている。

<「明治時代の1889年に創建された初代歌舞伎座から数え、今回お目見えした歌舞伎座は5代目となる。3年前に解体された先代が新築されたのは、1951年のこと。その6年前に3代目が東京大空襲で焼夷弾の直撃を受け焼失したためだ。実は今回同様、その6年の間にも複数の大物役者が鬼籍に入っている。十五代目市村羽左衛門(享年70)、十二代目片岡仁左衛門(同63)、七代目松本幸四郎(同78)、七代目澤村宗十郎(同73)、六代目尾上菊五郎(同63)と、大名跡が立て続けに病気などでこの世を去ったのだ。仁左衛門の場合は、戦後の食糧難で待遇の悪さに恨みを募らせた見習いに薪割り用の斧で一家もろとも惨殺されるという壮絶な最期だった。
『当時は、ファンや梨園関係者らの間で、〈歌舞伎座に棲む魔物の呪いだ〉〈5人が人柱になって支えている〉と囁かれたものです』
と語るのは、全国紙の演劇担当記者である。
『今回の建て替え期間中にも早々に、五代目中村富十郎(享年81)、七代目中村芝翫(同83)、四代目中村雀右衛門(同91)という人間国宝たちが、逝去した。だけど彼らは皆、高齢だったので、仕方ないと受け止めました。オールドファンたちの間では〈残念だが、今回は3人で済んでまだ良かったか〉という思いがあったのです』
   しかし畏怖すべき伝説は生きていた。海老蔵の〈神の不在〉発言を受け、まるで眠れる悪霊が目を覚ましたかの如く、その直後に当代きっての千両役者、中村勘三郎(享年57)が急逝。今年に入り、海老蔵の実父、市川團十郎(同66)も、新しい桧舞台に立つ夢は叶わず、没したのだ>

その千両役者・勘三郎が生前「あいつは俺の敵だ」といっていたのが二代目中村吉右衛門(68)だったという。勘三郎が訪れた都内のバーでよく顔を合わせていた知人がこう語っている。

<「いつも陽気な勘三郎さんですが、こと吉右衛門さんの話になると、語気が荒くなる。『冷たい人だね。俺のことをいつまでも認めようとしない。〈邪道に走り、芸能界でミーハーばかりやってる奴〉と蔑んでるんだ。でも俺は古典の型を極めたうえで、型破りの技にも挑戦してんだよ。あいつは頭が固すぎて、それが分からない』とぼやいていました」>

どこの世界でも人間関係は難しいが、梨園という狭い世界だから、難しさはなおさらのようだ。俳優の最高位「立女形(たておやま)」の座を占める玉三郎にも許せない先輩がいたようである。

   「私は歌右衛門にはならない」

   折に触れ、彼は決然とした口調で、親しい知人にこう話していたという。松竹の関係者が解説している。

<「2001年に84歳で亡くなった歌右衛門は、〈歌舞伎界の天皇〉と呼ばれた存在でした。しかし、70年代に頭角を現し、類稀な美貌と天賦の才で多くのファンを獲得した玉三郎に〈女帝の座〉を脅かされた。彼の才能を恐れ、徹底的に排斥しつづけたことは、梨園の世界では知られた話です」>

歌右衛門は齢60を過ぎても「娘道成寺」の一人踊りを舞いつづけたが、この演目には一人バージョンと二人バージョンがあるそうで、前者は何キロもある衣装を纏いながら、1時間近くも踊りつづけねばならない。玉三郎への敵愾心が老齢に鞭打たせたのだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで 「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/ 2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オー マイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開 催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロ の町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競 馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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