2024年 4月 28日 (日)

優勝校興南の知られざる秘密 監督が理事長兼務という「野球シフト」

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   夏の甲子園で沖縄県勢として初めて優勝を決めた興南高校は、史上6校目の春夏連覇という偉業も同時に成し遂げた。同校は、野球以外にも多くの運動部が実績をあげている。また、野球部の監督が学校の理事長を兼任するという異例の体制だ。さらに、理事長就任は、夏の甲子園の直前。学校として野球に力を入れていることを印象づける出来事だ。

   優勝チームを率いたのは、同校OBの我喜屋優(がきや・まさる)監督(60)。1968年に同校が沖縄初のベスト8を果たしたときに4番で主将を務めた。

夏の甲子園の直前、監督が理事長に就任

   卒業後、社会人野球の大昭和製紙富士(当時)に入り、後に移籍した大昭和製紙北海道(同)では、74年の都市野球で初優勝。現役引退後は監督や北海道野球連盟の役員などを歴任し、34年間を北海道で過ごした。

   北海道時代のエピソードとして知られているのが、雪が積もった中でも雪かきをして練習を行ったことだ。これが、梅雨が長い沖縄でも、雨の日に長靴と雨がっぱで練習を敢行する練習スタイルにつながった。

   その我喜屋氏が母校に戻ってきたのが1998年。同校を運営する学校法人「興南学園」の理事として神谷健監督(当時)をサポートする形で学校経営に携わり、06年12月に野球部顧問、07年4月から監督に就任している。

   元々、興南高校はスポーツに強い学校だ。卒業生には、ボクシング元世界王者の具志堅用高さん、女子プロゴルファーの宮里美香さん、元プロ野球選手の仲田幸司さん、デニー友利さんなどがいる。ウェブサイト上で公開されているのは07年の実績だが、それを見る限りでは、運動部ではハンドボールで全国大会準優勝を果たしているし、県大会レベルでは、男子剣道部、女子剣道部、男子ゴルフ部などが、多数優勝している。

   もちろん野球も、その「強豪部活」のひとつだ。我喜屋氏が監督に就任した4か月後の07年7月には、同校を24年ぶりの甲子園に導いた。09年は春・夏ともに甲子園に出場。この実績が評価され、10年1月には監督としての契約を3年延長する形で続投が決定した。その直後の10年4月の春のセンバツ高校野球では初の全国優勝を果たしている。

   さらに、10年7月1日には、「春夏連覇」のプレッシャーがかかるなか、学校の理事長に就任してもいる。

「野球部の運営は学校経営に共通する所も多い」

   理事長就任の時期は、夏の甲子園の沖縄県予選が始まる直前にあたる。「監督続投が条件」(10年8月22日、朝日新聞)だったというが、我喜屋氏は、地元紙に対して

「野球部の運営は学校経営に共通する所も多い。どちらもマイナスにはさせない。私学に求められているのは特徴ある学校。高学歴、難関大学への合格だけにとらわれない、社会に出ても通用する守礼の邦にふさわしい子供たちを育てていきたい」(10年7月4日、沖縄タイムス)

と抱負を述べている。

   「難関大学への合格だけにとらわれない」と述べているように、現状では「文武両道」というよりは、「武」に重きが置かれているとも取れる調査結果も出ている。09年度に行われた学校評価アンケートの結果によると、生徒の83.2%が「本校の部活動は活発である」と回答したのに対して、「授業は興味・関心が持てる内容である」と回答したのは、わずか43.2%。これに対して、学校側は「授業に対する評価が低いことは早急な対応が必要」とコメントしている。

   ただし、野球やサッカーの全国大会の優勝で知名度が高まり、進学校に「化けた」ケースは全国に数多くある。学校ウェブサイトでは

「文武両道を基軸に、進学、そして社会人としてどの分野でも活躍できる心・技・体の揃った『人』を育成することに熱意を注ぐ決意」

と理事長としての決意を述べている我喜屋氏。今後、どの程度「文」が伸びるか注目されそうだ。

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