2024年 4月 29日 (月)

「目立つのが好き。心配されるのが好き」 監禁解放の常岡さん、過去にも「拘束」経験

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   アフガニスタンで人質として拘束されていたフリー・ジャーナリストの常岡浩介さん(41)が2010年9月6日、帰国した。常岡さんは世界の紛争地域を20年近くに亘って取材しており、過去にも「拘束」の経験がある。Twitterには「無事に帰ってきて良かった」といったメッセージが大量に寄せられている。

   常岡さんは3月下旬にアフガニスタンを訪問。3月末にツイッターにはアフガン北部のタリバン支配地域に入ったと投稿している。4月1日朝に最後の呟きが投稿され、行方が分からなくなった。

100万ドルの身代金要求される

   その後、4月上旬に日本国内通信社や新聞社がタリバン筋の情報として、常岡さんがタリバンに拉致され、アフガン北部で拘束されていると報道。6月に毎日新聞が本人に電話取材した際には、民家の小部屋に監禁されており、健康状態は良好。犯行組織は身柄解放の条件として100万ドルの身代金を要求しているが、常岡さんは「応じれば再び同じ事件が繰り返される」と要求に応じないよう訴えていた。

   現地で身柄が解放されたのは9月4日。その前後にもツイッターに投稿している。アフガン当局がタリバンの犯行と断定しているので日本メディアもそのように書いているが、実際はタリバンになりすました「腐敗した軍閥集団」による犯行と説明。「イスラム党(ヒズビ・イスラミ)」に属する地方軍閥だといい、アフガン当局が事実を発表することはないとしている。

チェチェン難民の取材でも拘束される

   常岡さんが「行方不明」や「拘束」状態になったのはこれが初めてではない。

   常岡さんが2001年ごろに開設したHPによると、早大学在学中からアフガンやイラク、アルジェリアなどの紛争地域を旅行。卒業後はNBC長崎放送で報道部記者になるも4年半で退職。1998年からフリー・ジャーナリストとしてイスラム圏を中心に世界の紛争地域を回っている。「目立つのが好き。心配されるのが好き」なところがあるのだという。

   01年にはチェチェン独立派を取材中に国内外のメディアで「日本人ジャーナリスト不明」「テロリストが拘束」などと報じられた。その後無事に帰国しているが、グルジアの集落で武装グループと一緒に生活していたようで、常岡さんが所属するジャーナリスト集団「東長崎機関」HPには常岡さんが武装グループと一緒に笑顔で写っている画像が掲載されている。右手人差し指を1本立てて、イスラム教の「神は一なり」のサインを武装グループメンバーと一緒にしている。

   常岡さんは00年に自身もイスラム教に改宗している。シャミルというイスラム名もあり、ロシアや旧ソ連諸国のメディアでは「ジャーナリストになりすましたイスラム過激派国際テロリスト」と書き立てられたこともあるという。

   そうしたこともあってか04年、ロシア南部にチェチェン難民の取材目的で入った際、取材の届け出をしていなかったことなどを理由に、ロシア治安当局に拘束されている。拘束は16日間にも及んだという。後日解放され帰国した際には「解放に向けて努力してくださった皆さま、ありがとうございました」と書いている。

   今回の解放では身代金は支払われなかったという。Twitterには「何においても無事に帰国されてよかったです」「命を賭けて取材する方々を尊敬します」といったものが寄せられている。

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