2024年 4月 29日 (月)

【大震災 若者の挑戦(1)】
「暗闇の先にもきっと光がある」と言えた 震災の記憶を伝え続ける相馬高校放送局

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   未曽有の被害をもたらした東日本大震災から4年。復興は道半ばで、東京電力福島第1原発事故の影響により今も多くの人が避難生活を余儀なくされている。

   一方で、時間の経過とともに被災地が忘れられていく懸念がある。震災の記憶を伝えよう、苦しむ被災者を支えようと若い世代が震災発生時から今までずっと様々な取り組みを続けている。J-CASTニュースは、被災地で生き、活動する若者たちを追った。

鳥のさえずりと放射能測定器の警告音

「ちゃんと伝える」より(画像提供:相馬高校放送局)
「ちゃんと伝える」より(画像提供:相馬高校放送局)
「ここには私の街が、家が、生活があった」

   女性のナレーションとともに画面には、津波で甚大な被害を受けた福島県相馬市磯部地区の「今」が映し出される。そして、こう続く。「何かしなければ、いつか忘れてしまう。でも忘れてほしくない。いつまでも覚えていてほしい。だから伝えていきたい、ふるさとの今を」。

   福島県立相馬高校の部活動、「放送局」の女子部員が2014年6月に制作した8分間の映像ドキュメンタリー「ちゃんと伝える」のラストシーンだ。現在2年生のこの現役部員は、今も仮設住宅から通学している。

   放送局では2011年以降4年間、震災を扱った音声や映像作品を継続的につくっている。2011年6月につくられた、音声のみのラジオドキュメンタリーがある。題名は「緊急時避難準備不要区域より」。当時入学して2か月だった1年生女子部員が初めて手掛けた7分ほどの作品だが、メッセージ性は強烈だ。

   聞こえてくるのは、のどかな鳥のさえずりと、それを遮るように響く放射能測定器の警告音。自宅は、政府が指定した「緊急時避難準備区域」のわずかに外側だった。「緊急時避難準備区域」は、いつでも屋内退避や避難ができるように準備をしなくてはいけない。その外といっても、放射能の不安はつきまとう。生徒は祖母に話を聞く。もう野菜を作る気になれない、「ここは大丈夫」と政府に一方的に言われて避難しようがない――。

   生徒は最後にこう口にする。

「私には今を生きることしかできない。人生80年なんて考える方が間違っている。安全な場所なんてどこにもない」

   この年にもうひとつ「大作」が生まれた。6人の部員による30分超の演劇「今伝えたいこと(仮)」だ。女子高生の仲良し3人組の中で、突然1人が自らの命を絶つ。残った2人は「なぜこんなことに」と、友の死の理由を語り合う。実は彼女は津波で家を流されて家族を失い、酪農家の親戚に預けられる。だが、原発事故のせいで生活が厳しい親戚から疎まれ、毎日つらい思いをしていた。それでも本人は、2人の前でいつも明るく振る舞っていたのだ。

   話し合ううちに2人は気持ちをぶつけ合う。1人は、自分たちがこの場所で生きていくからこそ絶望してはだめだと主張するが、もう1人は「きれいごと」だと切り捨て、希望は持てないと突き放す。

   子どもの訴えを無視しないで、苦しんでいる人たちがいることを忘れないで――。悲しみや怒りの感情を爆発させた女子生徒の心の叫び声が印象的だ。

人々と触れ合いながら新たな気づきを得ていく

「相馬高校から未来へ」より(画像提供:相馬高校放送局)
「相馬高校から未来へ」より(画像提供:相馬高校放送局)

   劇は2012年3月10、11日に東京都内で初演。以後は口コミで評判が広がり、全国から上映会の依頼が続々と舞い込む。制作メンバーの6人が各地に赴き、観客と話をする機会も増えた。2013年7月には、優れたジャーナリズム活動に贈られる「日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞」に選ばれた。

   放送局の顧問を務める渡部義弘教諭は、作品の制作過程でシナリオや映像に「口出し」することは一切ない。「今伝えたいこと(仮)」の脚本も生徒が書き上げた。取り扱う題材も部員が自主的に選ぶ。

   ただ周りを見渡した時、最も伝えたいテーマだと生徒が感じることが多いのは震災のようだ。加えて「今伝えたいこと(仮)」のインパクトは大きく、放送局のその後の活動にも影響を与えたと考えられる。

   事実、2013年制作の「相馬高校から未来へ」では、「今伝えたいこと(仮)」の上映会で各地を回る先輩部員に密着。被災地の現状を発信する一方、上映会で訪れた場所の人々と触れ合いながら新たな気づきを得ていく様子を描いている。1人の部員は、広島市や熊本県水俣市を訪問した際「原爆や水俣病は過去のものじゃない」と実感したと、会場を訪れた人に語り掛ける。そのうえで、自分たちの未来をつくっていきたいとの願いを口にした。

   この作品は、2011年の「緊急時避難準備不要区域より」と同じ女子部員が制作した。「2年前には未来に絶望していた子が、2年かけて『暗闇の先にもきっと光がある』と言えるようになったのです」と、渡部教諭は振り返る。「相馬高校から未来へ」は2013年のNHK杯全国高校放送コンテスト「テレビドキュメント部門」で優勝を果たした。

話に耳を傾けてくれる人は大勢いると知った

   そして2014年、当時1年生の部員が手掛けたのが冒頭に登場した「ちゃんと伝える」だ。制作した生徒は、「今伝えたいこと(仮)」をつくった先輩が卒業した後に入部した世代。1年生で最初に向き合ったテーマは、震災ではなかった。だが放送局に入部後「今伝えたいこと(仮)」の映像を見て、「いずれ自分も震災を」との思いはあったという。

   津波で壊滅的な打撃を受けた地元は、景色が一変した。変わり果てた姿は、年月がたつと自分の中で「いつもの風景」として目に映るようになった。そこに危機感を感じたのかもしれない。「震災を撮り続けるのは、もちろん周りの人たちに忘れないでほしい気持ちもありますが、自分自身も中学生のころに見ていた地元を忘れてはいけないと感じました」と話す。

   映像には仮設住宅や犠牲者を悼む慰霊碑に加えて、相馬高の男子生徒が卒業式の答辞を読んでいる最中、自分の父を震災で亡くしたと明かすシーンがある。この生徒にインタビューした。すると、個人的な話をすべきか直前まで迷ったが、「今いない人」の存在を感じさせるのも必要ではないか、と父の死に触れる決断をしたと明かした。

   制作した部員は仙台市で開かれた作品の上映会で、「(観衆が)どんな反応をするんだろうと怖かったけれど、真剣に聞いてくれました」と手ごたえをつかんだ。伝えようとすれば、理解してくれる人はいる。そして自分の中でも、何が起きたかを思いとどめておけると実感した。

   一緒に参加した同級生の別の女子部員は、他の上映会で全国を回った経験がある。「初めは『もう忘れられているんじゃないか』との気持ちもありましたが、全然そんなことはなかった。話に耳を傾けてくれる人は大勢いると知ったのです」。

   震災直後から作品を見つめてきた渡部教諭は、4年間の中で「伝える」内容の変化を感じ取っているようだ。「当初は『なぜ子どもの声を聞いてくれないのか。怒りをぶつけてやれ』との意識が強かったかもしれません。しかし今では、『大人は敵だ』という主張はしていない。上映会で多くの人と交流するなかで生徒たちも視野が広がり、震災のとらえ方が多角的になってきたのだと思います」と話す。

   相馬高校放送局のように震災関連の映像や音声作品を制作し続けている高校の部活動は、今ではほとんどない。だが同校では、部員が「震災を伝える大切さ」を肌で感じているからこそ、自らの意志で今後も制作活動を続けていくはずだ。(この連載は随時掲載します)

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