2024年 4月 24日 (水)

若貴より強いと言われた元大関貴ノ浪が急逝 「間違いなく横綱になれる」はずだったが...

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   豪快な取り口で知られた元大関の貴ノ浪(音羽山親方)が2015年6月20日、急性心不全で亡くなった。

   43歳の若さだった。現役時代は「横綱確実」と期待されたが、波乱との闘いでもあった。

  • 相手を投げ飛ばす「記憶に残る力士」だった
    相手を投げ飛ばす「記憶に残る力士」だった
  • 相手を投げ飛ばす「記憶に残る力士」だった

魁皇と似ている力士

   貴ノ浪は貴乃花、若乃花の「若貴時代」がブームとなった昭和から平成にかけて活躍した力士だった。そのころ、大相撲の専門家に、彼の素質を聞いたことがある。

「貴乃花、若乃花よりも強い」
「間違いなく横綱」

   大方の相撲担当記者も同じような話をしていたことを思い出す。それほど稽古場では力を見せていたことになる。

   実は、貴ノ浪は若貴の兄弟子である。1987年春場所がデビューだが、若貴の父親でもある当時の二子山親方に素質を見いだされて入門。身長190cmを超える大型だった。

   だれもが認める力を発揮、94年初場所後に大関昇進。しかし、綱には届かなかった。出世という意味では期待にそえなかったといえた。魁皇と似ている力士だった。

確実に白星を重ねるタイプではなかった

   貴ノ浪の相撲は豪快そのもので、いかにも大相撲らしかった。堅実な相撲の貴乃花とは対照的で、大いにファンを沸かせた。今年、大関に上がった照ノ富士のような力士、といえば現在のファンに分かるだろう。

   しかし、豪快は荒さをも意味し、故障にもつながる怖さを兼ねていた。確実に白星を重ねるタイプではなかった。

「力自慢の典型だろう。一気に横綱にまで登り詰めてしまえばよかったのだが、上位の相撲はパワーだけでは勝ち続けることはできない」。

ベテラン相撲記者の声である。

   本人の言葉がある。

「(自分の相撲は)良い子がマネをしてはいけない相撲だよ」

   優勝は2度。それを生かせなかった原因に足首のケガ。大きな体を支えるのに大きな負担がかかった。99年九州場所後に大関を陥落。その後、大関復帰を果たすが、再びその座を明け渡した。以後は幕内に残ったものの、かつての強さはなかった。

   横綱を目前にしながら二度の大関陥落。そして43歳の急逝。波乱の人生だった。力の相撲は美学、というのが信条だったのだろう。通算777勝559敗13休。勝率5割8分2厘。好成績を残している。相手を投げ飛ばす「記憶に残る力士」だった。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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