2019年 12月 13日 (金)

石牟礼道子さん死去、90歳 文学で水俣病を告発し続ける

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   水俣病をテーマにした作品で知られ、患者の救済にも力を尽くした作家の石牟礼道子さんが2018年2月10日、パーキンソン病による急性憎悪のため亡くなった。90歳だった。同日、複数のメディアが報じた。

   晩年は病を患い、闘病生活を強いられたが、現地から水俣の「無念の思い」を訴え続けた。誠実な人柄そのままの、魂の奥深くから絞り出したかのような作品は、多くの読者を揺さぶり、各地の反公害運動にも影響を与えた。日本では稀有な「社会性の強い作家」として国際的にも評価が高かった。

  • 著書「石牟礼道子―椿の海の記」より
    著書「石牟礼道子―椿の海の記」より

『苦界浄土』の第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退

   1927年、熊本県の天草の生まれ。水俣に移り、水俣実務学校卒業後、代用教員などを経て、53年、歌誌「南風」に加わり、歌人としてスタートした。主婦業のかたわら、谷川雁さんや森崎和江さん、上野英信さんらが編集委員を務めた地域交流誌「サークル村」に参加。九州在住の仲間たちと文学活動を活発化させ、同誌や雑誌「思想の科学」などに作品を発表した。

   60年、水俣病患者からの聞き取りによる最初の作品「奇病」を「サークル村」に掲載。65年にはさらに、熊本の地域雑誌「熊本風土記」に、水俣病を扱った「海と空のあいだに」を連載する。同誌は、東京で日本読書新聞に勤めていた編集者の渡辺京二さんが熊本に戻って発刊したもので、原稿も渡辺さんからの依頼だった。

   68年、「朝日ジャーナル」に『わが不知火』を連載。69年には、「海と空のあいだに」をもとにした『苦海浄土 わが水俣病』(講談社)を単行本で出版した。ちょうど全国的に公害への関心が高まっていた時期でもあり、反響が大きく、第1回大宅壮一ノンフィクション賞となった。しかし、石牟礼さんは受賞を辞退。そのことでかえって注目されることになった。

   その後も、70年には井上光晴さんが主宰する「辺境」に『苦海浄土・第二部』を、72年には「展望」に『天の魚』(『苦海浄土』・第三部)を連載。さらに『あやとりの記』『十六夜橋』『椿の海の記』『水はみどろの宮』『はにかみの国』新作能『不知火』など水俣や南九に根差した作品を数多く発表した。また、熊本出身で日本の女性史学の創設者となった高群逸枝についても研究し、『最後の人―― 詩人高群逸枝』なども出版している。73年、マグサイサイ賞、93年、紫式部文学賞、2002年、朝日賞、03年、芸術選奨文部科学大臣賞、13年、エイボン女性大賞などを受賞した。

   作家活動にとどまらず、68年には友人たちと水俣病対策市民会議を結成し、70年には巡礼姿の患者たちとともに大荒れとなったチッソ株主総会に出席。熊本市の友人に呼びかけて水俣病を告発する会を結成するなど、患者支援にも深く関わった。

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