2024年 4月 23日 (火)

石牟礼道子さん死去、90歳 文学で水俣病を告発し続ける

   水俣病をテーマにした作品で知られ、患者の救済にも力を尽くした作家の石牟礼道子さんが2018年2月10日、パーキンソン病による急性憎悪のため亡くなった。90歳だった。同日、複数のメディアが報じた。

   晩年は病を患い、闘病生活を強いられたが、現地から水俣の「無念の思い」を訴え続けた。誠実な人柄そのままの、魂の奥深くから絞り出したかのような作品は、多くの読者を揺さぶり、各地の反公害運動にも影響を与えた。日本では稀有な「社会性の強い作家」として国際的にも評価が高かった。

  • 著書「石牟礼道子―椿の海の記」より
    著書「石牟礼道子―椿の海の記」より
  • 著書「石牟礼道子―椿の海の記」より

『苦界浄土』の第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退

   1927年、熊本県の天草の生まれ。水俣に移り、水俣実務学校卒業後、代用教員などを経て、53年、歌誌「南風」に加わり、歌人としてスタートした。主婦業のかたわら、谷川雁さんや森崎和江さん、上野英信さんらが編集委員を務めた地域交流誌「サークル村」に参加。九州在住の仲間たちと文学活動を活発化させ、同誌や雑誌「思想の科学」などに作品を発表した。

   60年、水俣病患者からの聞き取りによる最初の作品「奇病」を「サークル村」に掲載。65年にはさらに、熊本の地域雑誌「熊本風土記」に、水俣病を扱った「海と空のあいだに」を連載する。同誌は、東京で日本読書新聞に勤めていた編集者の渡辺京二さんが熊本に戻って発刊したもので、原稿も渡辺さんからの依頼だった。

   68年、「朝日ジャーナル」に『わが不知火』を連載。69年には、「海と空のあいだに」をもとにした『苦海浄土 わが水俣病』(講談社)を単行本で出版した。ちょうど全国的に公害への関心が高まっていた時期でもあり、反響が大きく、第1回大宅壮一ノンフィクション賞となった。しかし、石牟礼さんは受賞を辞退。そのことでかえって注目されることになった。

   その後も、70年には井上光晴さんが主宰する「辺境」に『苦海浄土・第二部』を、72年には「展望」に『天の魚』(『苦海浄土』・第三部)を連載。さらに『あやとりの記』『十六夜橋』『椿の海の記』『水はみどろの宮』『はにかみの国』新作能『不知火』など水俣や南九に根差した作品を数多く発表した。また、熊本出身で日本の女性史学の創設者となった高群逸枝についても研究し、『最後の人―― 詩人高群逸枝』なども出版している。73年、マグサイサイ賞、93年、紫式部文学賞、2002年、朝日賞、03年、芸術選奨文部科学大臣賞、13年、エイボン女性大賞などを受賞した。

   作家活動にとどまらず、68年には友人たちと水俣病対策市民会議を結成し、70年には巡礼姿の患者たちとともに大荒れとなったチッソ株主総会に出席。熊本市の友人に呼びかけて水俣病を告発する会を結成するなど、患者支援にも深く関わった。

武田鉄矢さんも「泣いた」

   石牟礼さんの地域に根を下ろした真摯な活動ぶりは、日本の文学者として類例がないこともあって、多くの人から注目され、共感を広げた。

   作家の池澤夏樹さんは、自ら編集した世界文学全集で、日本文学の長編として唯一、『苦海浄土』3部作を選んだ。歴史家の色川大吉さんは『苦海浄土』に心を打たれ、76年から5年間、学術調査団を組んで現地を訪れ『水俣の啓示』としてまとめた。社会学者の大澤真幸さんは朝日新聞読書面の「戦後70年――苦闘する思想」特集で、「吉本(隆明)や鶴見(俊輔)は知識人として、大衆や人民を外から対象化したが、民衆の内側から思想を紡ぎ出したのが、石牟礼道子である」と述べ、「戦後思想」を代表する3冊のうちの1冊に『苦海浄土』を推した。やはり社会学者の見田宗介さんも『苦海浄土』を「公害文学を超え、近代社会の根本を問うているスケールの作品」と絶賛した。

   良書を出版することで知られる藤原書店は、石牟礼さんの仕事の総まとめになる『石牟礼道子全集・不知火17巻』(推薦者:五木寛之、大岡信、河合隼雄、白川静、瀬戸内寂聴、多田富雄、鶴見和子さんら)を刊行。同社はさらに石牟礼さんを主人公としたドキュメンタリー映画『花の億土へ』も制作した。染色家の志村ふくみさんも石牟礼さんと交流し、全集の表紙を手掛けたほか、対談と往復書簡の共著『遺言』を出した。武田鉄矢さんは『苦海浄土』を読んで泣いた、と明かし、一部を抜粋してライブなどで歌っている。

   編集者として長く石牟礼さんを支えた渡辺京二さんは、79年『北一輝』で毎日出版文化賞、99年『逝きし世の面影』で和辻哲郎文化賞、2011年『黒船前夜』で大佛次郎賞を受賞するなど自身も思想史家・評論家として活躍してきた。石牟礼さんについて、「当初は社会派、記録文学作家といったふうに見られていたが、その後続々と発表された作品によって、彼女が日本古典文学の伝統に立ちながら近代文学の世界を拡張し、世界的レベルで文学の新たな可能性を示す醇乎たる文学者であることが、次第に認められるようになった」(「熊本県文化功労者の紹介文」)と解説している。

   患者の無念の思いをつづる語り部として脚光を浴びた石牟礼さんだが、晩年の作品『花の億土へ』のなかでは、さらに踏み込む。「私が考えているのは、人間だけの歴史ではないんです」「あらゆる生きものたちが、草木も、獣たちも、虫たちも含めて、呼吸しあっている・・・」と、万物の「いのち」をいつくしむ思いを語っていた。

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