2024年 4月 26日 (金)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(5)
弱者の側に立つ「帝国主義的道義国家」(その1)

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立脚点は「反西欧帝国主義」

   山田良政の弟純三郎も東亜同文書院を卒業してからは、満鉄に職を得るのだが、孫文を支援して、辛亥革命を助けている。1910年代終わりには孫文の秘書となり、晩年の孫文を常に補佐している。1915年に、上海の山田純三郎宅を、袁世凱政府では革命の純潔性が保てないと孫文の右腕である陳果夫らの第二次革命派の打ち合わせ場所として提供していた。そこに袁政府の刺客が襲い、陳果夫は暗殺されている。純三郎の娘(3歳)は頭から床に落ち、生涯障害者であった。

   こうした山田兄弟の思想、そして書き残した記録を見ていくと、いわゆる抑圧されている人びとをたすけるための運動は、帝国主義という枠内にありながら、それを越えていく強さをもっていることがわかる。山田のような例は、宮崎滔天とその兄の民蔵を見ても植民地解放運動のために財産をつかい、自らの知識と行動力を提供し、そしてその政治思想を現実にするために命さえもささげたといっていいだろう。とくに宮崎滔天は、その著(『三十三年の夢』)を見てもわかるとおり、孫文の革命思想をベトナムやインドシナに広げるべく動いてもいる。

   帝国主義的道義国家というのは、とくに定義するまでもないが、基本的には先進帝国主義と同質の国家体制をもちながら、その政策の立脚点は反西欧帝国主義という旗を掲げることである。日本国内に山田兄弟や宮崎兄弟のような思想と行動を原点とする政治勢力が存在したならば、現実には後発の帝国主義国家像と一線を引けたはずである。それを牽引する政治家(原敬や犬養毅などがそのタイプになりえたのだが)は、テロにあっているということは逆説的に帝国主義の硬軟の道筋がある地点で分岐点になってしまう運命だったといえるのかもしれない。(第6回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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