2024年 4月 26日 (金)

目指すは「未来の日本代表」が合宿できるピッチ 
Jヴィレッジ、復興への新たな一歩

提供:東京電力ホールディングス

もぬけの殻のJヴィレッジに、防護服の作業員

   次の日(3月12日)の朝9時ごろ、楢葉町から避難勧告があった。「放射能が漏れたみたいなので、なるべく南へ逃げろ」という。

「それまで情報が閉ざされていたため、世の中がどうなっているか、さっぱりわからず、とりあえず、いわき市の小学校へ向かうことになりました。
ただ、当時は『原発事故』『放射線』といわれても、それがどういうものなのか、よくわからなかった。正直、『逃げろ』といわれても、どうすべきなのか。目に見えない何かに追われる、そんなイメージしかありませんでした」
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小野俊介さんは「正直、逃げろといわれても......」と、当時を振り返る

   原発から南へ約20キロ。もぬけの殻となったJヴィレッジは、震災直後の2011年3月15日から13年6月30日までスポーツ施設としては全面閉鎖され、国が管理する原発の事故処理の前線基地となった。一時は、1日約2000人の作業員がいくつかの班に分かれてバスに乗り込み、原発のある大熊町に向かった。

   テレビからは、息苦しそうな白い防護服に身を包み、途方に暮れるような膨大な作業に疲れ切った作業員の姿が映し出された。「まるで戦場のよう」――。その印象は強烈で、多くの人の脳裏に焼き付けられた。

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