2024年 4月 27日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(17)
天皇の「代理人」自任した軍人たち

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開戦4か月で天皇に「虚偽報告」

   『昭和天皇実録』は、昭和天皇の在位期間を含めその87年の人生を記録した貴重な文献である。宮内庁書陵部が24年5か月をかけてまとめた。これを丹念に読んでいくと陸海軍の指導者たちはいかに天皇を欺いていたかが浮かび上がる。太平洋戦争が始まってからまだ4か月でもう嘘をついているのである。この実録の昭和17(1942)年4月18日の記述は以下のようにある。

「午後二時、御金庫室廊下において参謀総長杉山元に謁を賜い、空襲に関する奏上をうけられる。暫時の後、内務大臣湯沢三千男に謁を賜う。なお午後二時、東部軍司令部より敵機九機を撃墜した旨が発表される」

   これはアメリカ軍のドーリットル隊が東京を中心とした各地に爆撃を行ない、日本が被害を受けたケースである。日本本土に対する初の空爆だった。これによれば不意に日本を襲い、相応の爆撃によることで、日本の軍事指導者たちに衝撃への恐怖を起こそうとしていた。杉山は軍令の責任者としてこの爆撃を天皇に伝えた。杉山はアメリカ軍機の9機を撃墜したと報告しているのである。大本営発表も9機との内容であった。 しかしこれは偽りで、実際にはドーリットル隊の一機も撃墜できなかったのである。

   杉山はこの段階ですでに事実を偽って報告していたのである。しかも 防衛総司令官だった東久邇宮稔彦王が、天皇の前に進み出て、「敵機は一機も撃墜できませんでした」(東久邇宮著 『やんちゃ孤独』)と伝えると激昂し、「防衛総司令官には、陛下に直接報告する権限はない」と妨害している。つまり偽りは意図的だったのである。

   こう見てくると、戦時下の日本の実情は天皇主権国家と言いながら、その実情は全く異なっていて「天皇の名を利用した軍事指導者のやりたい放題の体制」だったということになる。私たちはこの現実からある教訓を知るべきであろう。その教訓とは、戦時下を含めて昭和10年代の日本の可視化した姿(それはファシズム体制とか軍事独裁体制ということになるのだが)を史実として語ってきたのだが、実は不可視の虚像があり、それに振り回されていたということだった。

   その不可視の像とは何か、ということになるが、それは神の代理人を自称する集団が壮大な虚構空間を作りあげていたとうことである。天皇を利用して、自分たちの軍事という機構の価値観のみで時代と歴史に向き合ったというべきであった。それは明治150年の今、真摯に検証しておかなければならないテーマなのである。 (第18回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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