2024年 4月 19日 (金)

「日航ジャンボ機事故」直後の「人事」暗闘 消えた「社長候補」...中曽根文書から読み解く

2日前までは「利光社長、山地副社長」だったのに

   これ以降のメモでは、人事がいかに難航したかが語られる。

   「10/28 PM 藤尾懇談」によると、「伊藤を推したのは小山五郎だ。(中略)(N)(編注:中曽根氏を指すとみられる)も小山が推したのだから満足なのだろう」。小山氏は三井銀行相談役で、伊藤氏が会長を務める鐘紡の相談役も務めていた。小山氏自身、財界からの首脳陣候補のひとりとして名前が取り沙汰されたことがあった。

   人事案が直前まで流動的だったことも明かされた。社長以下の人事を決めたのは伊藤氏だとして、藤尾氏とみられる人物によれば、「当初、私が連絡をもらった時(土曜日)(編注:10月26日)は、利光社長、山地副社長だった」。利光氏が社長の打診を固辞したのが入れ替わりの理由のようだ。

「利光が自分は社長など出来ないと言い、山地は言わなかったかららしい。(G)(編注:総務庁長官の後藤田正晴氏を指すとみられる)は『山地は副社長でいい』という意向だった。花村の来年までの留任を言い出したのも伊藤。それが条件だった。伊藤は花(編注:花村氏)を傷つけてまで自分が座ったと言われたくないということだろう。いずれにしろ、これでJALの民営化の方向は早まる。伊藤にすれば、自分がやるのだから社長はどっちでもよいという気持ちなのではないか」

   「11/1夜 上和田」では、記者の「日航は中曽根人事なのか山下人事なのか」の問いに、上和田氏とみられる人物が「そりゃあ中曽根人事だわな。ソーリは自分がこうだ、と思ったら山下さんに意見を言わせるという人ではない。これでやれ、とね」。

「3人の組み合わせまでは考えていなかっただろうが、3人とも変えなければならない、という点は事故直後から考えていたんじゃないかナ」

とも話した。

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