2021年 6月 17日 (木)

内田篤人に「鹿島の2番」託して十数年 名良橋晃氏が読み取った「ラストマッチのメッセージ」

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「自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう」

   内田はラストマッチ後の引退スピーチ冒頭で、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力する姿を僕は見てきました」と述べ、「僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語っている。前出の「メッセージ」の意味はここにあるという。

「篤人本人が、プレーで見せられないと言っていましたね。それはアントラーズの選手たちが継承している姿勢。僕の時はジョルジーニョ、本田(泰人)さんや秋田(豊)さんたちがいました。篤人には小笠原(満男)や本山(雅志)、中田浩二らがいました。彼らの背中を見て育ったと思いますし、自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう。しかし、できなくなってきた。そこに葛藤があり、(引退を)決断したのだと思います。篤人のプレーを見て、一緒に戦って、そのメッセージを受け取った今の選手たちがこれから引っ張っていかないと、新しいアントラーズは生まれないでしょう」(名良橋氏)

   内田はシャルケで22番、17年に在籍したウニオン・ベルリンでも2番をつけ、代表でも当初6番だったのが2番に変わった。内田がドイツに渡った10~17年、鹿島の2番は空席となり、18年の古巣復帰で内田が再びつけると、そのまま引退を迎えた。

   名良橋氏は内田に背番号2を託したことについて、「今は、僕がジョルジーニョと篤人に挟まれて幸せ者だなと、本当に思います。鹿島で2番をつけ、ドイツへ羽ばたき、鹿島に帰ってまた2番をつけてくれた。僕は一ファンとして嬉しく思いました」と感慨深く語る。では、次の鹿島の2番は?

「僕が決めることではありませんが、篤人が決めてほしいなというのと、少し相談してほしいなというのとありますね。ただ僕としては、まだ相応しい選手はいないという思いです。篤人がつけたことで、それだけ重みのある背番号になったなと思います」(名良橋氏)

(J-CASTニュース編集部 青木正典)

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