デニーン「リベラリズムの失敗」にヒントがある 福島伸享氏が提唱する新しい政治システムとは

   2026年2月の衆院選で敗れた福島伸享氏(当選4回)は、新たな政治システムを模索するため、学識者や現元国会議員、経済人らの研究会立ち上げを目指す考えを明らかにした。今回の敗北を受け、これまでの政治活動の転換を考えている。「新しい政治システムとは何か」福島氏に聞いた。(聞き手 ジャーナリスト 菅沼栄一郎)

  • 福島伸享氏のプロフィール 2009年民主党から初当選。民主党で当選2回、無所属(会派「有志の会」)で当選2回。東大農学部農業経済学科卒、経産省(当時の通産省)入省。(菅沼栄一郎撮影)
    福島伸享氏のプロフィール 2009年民主党から初当選。民主党で当選2回、無所属(会派「有志の会」)で当選2回。東大農学部農業経済学科卒、経産省(当時の通産省)入省。(菅沼栄一郎撮影)
  • 民主主義の仕組みを考え直すべきなのか(画像はイメージ)
    民主主義の仕組みを考え直すべきなのか(画像はイメージ)
  • 福島伸享氏のプロフィール 2009年民主党から初当選。民主党で当選2回、無所属(会派「有志の会」)で当選2回。東大農学部農業経済学科卒、経産省(当時の通産省)入省。(菅沼栄一郎撮影)
  • 民主主義の仕組みを考え直すべきなのか(画像はイメージ)

AIに頼る選挙は民主主義ではない

   前回の選挙を通じて、「投票による民主主義」という仕組みを根本的に問い直すときが来たのではないか、と考えます。

   「ネット選挙」で有権者の相対的過半数を取ったにすぎない権力が、正当な権力なのか。 AIに判断を委ねる有権者に「主権」はあるのか。これでは主権はAIにあるのではないか。 これが、基本的な疑問です。

   民主政治というのは、多様な価値観がある中で。対話やコミュニケーションを通じてお互いが歩み寄り、可能な限り多くの人が納得する結論を得るプロセス自体に価値がある。選挙が、民主政治におけるその一番大事な舞台であると考えてきました。

   でも、ネット上で作られたイメージをAIなどに頼って選択することが選挙となるのであれば、それは果たして民主政治なのか 問わざるを得ません。

   同時に、私が主張してきた政治の在り方を考え直す必要を感じました。

エマニュエル・トッド「西洋は敗北した」

   トランプ・米大統領がイラン攻撃後に迷走しているのも、結局、中間選挙があるからです。

   イスラエルも民主主義国家ですが、今年は間もなく選挙があり、その選挙に勝つためにはここで戦争を止めるわけにはいきません

   一方で、ロシアも中国も自由な選挙はないけれど、少なくともしっかりとした官僚組織があって、うつろいやすい民意に左右されることなく中長期的視野に立って合理的に考えられる。権威主義が非合理的な選択をするとも限りません。フランシス・フクヤマは東西冷戦の終焉後に、『歴史の終わり』で、民主主義と自由経済が最終的に勝利して大きな戦争などは起きなくなる、と西欧リベラリズムの勝利を説きましたが、実際にいま、直面しているのは、エマニュエル・トッドの言う「西洋の敗北」なのではないでしょうか。

公共に関心をもつ市民を欠いたまま、エリートと一般市民は分断

   パトリック・デニーンという米国の政治学者は、『リベラリズムはなぜ失敗したのか』という本で、トランプ現象のようなものも、米国民主党的価値観も、社会主義も、それらは西洋が生んだリベラルズムの帰結であり、「リベラリズムは失敗した」と言っています。

   彼は、政治においてリベラリズムは、個人主義を前提とし個人主義を助長することによって、結果的に個人と公の一時的妥協を達成するというより、公共の物事に関心をもつ市民を欠いたまま、エリート層と一般市民の分断を招いている、と言っています。一方、リベラリズムの補助役で、エンジンとなるべき経済システムは、グローバリゼーションによって個人や国家では止められない化け物のようなものになっている、とも言っています。

寄合いの意思決定システムが西洋近代を超克するヒント

   デニーンはバンス副大統領のブレーンであると言われ、トランプ大統領のイラン攻撃に反対して両者の溝が広がっていると言われています。イランとの停戦協議は失敗に終わりましたが、逆にトランプの後継者としてではない大統領選挙への登場の可能性が出てきた。

   次の大統領選挙は、トランプ的なポピュリズム政治とデニーン的なリベラリズム=西欧近代の超克の対立構造になるのではないか、と予想します。

   デニーンの言っていることの多くは、東洋的で、日本の伝統社会にこれまで存在してきた価値観に近く、日本こそが、インターネットやAI技術の進展によって大きく揺らいでいる民主政治を乗り越える道を示せるのではないかと考えます。ロラン・バルトが『表徴の帝国』で喝破した「空虚な中心」としての天皇の下で紡がれてきた、同質的、同族的、農耕民族的社会における共同体の寄合や談合のような意思決定システムや、頼母子講や無尽といった経済システムの中に、西欧近代を超克する社会システムを作るヒントが存在するのではないでしょうか。

   日本は今、権威主義でもない、単に投票による相対過半数で国家の意思を決定する現代民主政治でもない、新しい政治システムを欧米に先駆けて作ることができる可能性があるのです。今の日本の政治の現状を振り返ってみると、平成の政治改革で目指した「政権交代のある二大政党の政治」にもはや国民の期待はありません。自民党に代わりうる政治勢力は、焼け野原の状況にあります。かといって今は支持率が高い高市内閣も、複雑で不透明な国際情勢の中で国民が託すに足る安心感は持たれていないでしょう。ある意味、確立した政治構造のない「政治の空白」ともいうべき状況にあります。

   そんな時だからこそ、文明論に立脚した政治の本質を腰を落ち着けて見つめなおし、新たな政治理念を作り上げる時なのではないでしょうか。この浪人の時間を天から与えられたものと受け止め、私は「新たな民主政治とは何か」を模索する場を、学識者や現職・元職の国会議員、経済人などを集めて作り、世界的な新しい政治の流れを作ることができないか、と考えています。

姉妹サイト