党首就任も国政選挙のたびに議席は減少
そもそも、日本社会党から社民党へと改称した1996年以降、同党はかつての組織基盤と支持層を新進党や旧民主党に奪われ、衰退の一途をたどってきた。
そうした中、1998年の参院選でリベラルな市民層の支持を集めて国政入りしたのが、弁護士として市民運動や慰安婦問題などに取り組んできた福島瑞穂氏である。
2003年の衆院選では、社民党は12議席減の6議席と大敗し、かつて「マドンナ旋風」を巻き起こした土井たか子党首が引責辞任に追い込まれた。その後を託されたのが福島氏だった。
しかし、福島氏が党首に就任しても、党勢の低迷に歯止めはかからなかった。
2009年の民主党政権発足時には連立与党入りし、福島氏も内閣府特命担当大臣として初入閣したものの、翌年、米軍普天間飛行場の移設問題で署名を拒否して罷免され、連立を離脱することとなる。
この対応は平和政党としての姿勢を示した一方で、政権担当能力を疑問視され、現実路線を求める労働組合や無党派層の支持離れを招いた。
その後も国政選挙のたびに議席は減少し、福島氏は2013年に一度党首を辞任したが、党勢はさらに厳しさを増していった。