かつては「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮に渡った人々は、どのような人生を送ったのか――。当事者の証言を集めた書籍「証言・北朝鮮帰国者祖国に渡った『在日』はどう生きたか」(集英社新書)が刊行され、記念シンポジウムが2026年6月6日、早稲田大学戸山キャンパスで開かれた。帰国者や家族も登壇し、自らの体験を語った。帰国事業の全体像知って「毎日、食べ物が喉を通らないくらい苦しんだ」1959年から84年にかけて行われた帰国事業では、9万3340人の在日朝鮮人と日本人家族が北朝鮮に渡った。この「帰国者」のうち、脱北した人は約600人。日本に200人、韓国に400人いるうち50人から、北朝鮮での暮らしぶりを延べ350時間以上にわたって聞き取った。書籍は、ジャーナリストや学者らでつくる「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」が編集。17年の発足からコロナ禍による作業中断などを経て8年越しで刊行にこぎつけた。シンポジウムでは、2人の当事者が自らの体験を語った。ひとりが全文子(チョン・ムンジャ)さん(40年生まれ)。両親をはじめ、家族の多くが60年に北朝鮮に渡ったが、自らは日本に残る選択をした。全さんは当時、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)で映像編集の仕事に携わっていた。いわば帰国を推進する立場で、「とにかくこれが成功すれば、日本で苦しんできた私たちの家族は絶対に幸せになると確信していた。何も疑わないで、総連の仕事に、今で言えば加担したようなところがあった」と振り返った。今回の書籍を読んで多数の帰国者が置かれた状況を知ったといい、「全体がぼやっと頭に入ってきた時には、毎日、食べ物が喉を通らないくらい苦しんだ」と涙ながらに話した。北朝鮮に渡った母親から物資不足を訴える手紙が届くとは「夢にも思っていなかった」とも話した。兄と「切手の裏に本当のことを書こう」と約束もう一人が梁(リャン)敏雄さん(45年生まれ)。60年、日本に残った兄と「切手の裏に本当のことを書こう」と約束して北朝鮮に渡った。現地での生活は苦しく、65年頃に兄に送った手紙の切手の裏には「くるべからず」と書いた。梁さんは現地の様子を「地上の楽園どころか地獄に行った」「あそこは人の住む国じゃない」「向こうの人はすぐ、歓迎したらハグしてくる。汗臭い、ホコリ臭いので嫌だったけど、1年後、俺たちもそのザマになった。乞食みたいな生活になった」などと表現。そんな中でも良い思い出として言及したのが、帰国者コミュニティーでの交流で、「お互いに混ざり合って、昔話したり、歌を歌ったり踊ったりするのが楽しかった」と話した。梁さんは北東部の中国との国境に近い会寧(フェリョン)市の炭鉱で勤務し、2006年に脱北した。書籍の取材・編集の中心的役割を担ったアジアプレスの石丸次郎氏は、書籍が「北朝鮮の民衆の暮らし、生活史」でもあると指摘。その意義を「ここから想像していただきたいのは、北朝鮮で2000万を超える民が苦難の中に今もいる、こういう生活を60年代、70年代からやってきたんだと......それを知っていただく材料になれば」と話した。(J-CASTニュース編集委員兼副編集長工藤博司)
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