野球選手としても数々の記録を持つ
さらに吉田さんが驚いたことがあるという。
「ブラマヨも来てくれ、と言われて行ったのが名古屋のパチンコ屋さん。『練り歩き』というのですが、営業時間中にパチンコをやっている人たちに声をかける。『がんばってください、がんばってください』というのが板東さんの仕事でした。こんな仕事もやられているのかと驚いた」と振り返った。
MCの橋本和花子さんが「私は20代ですが、板東さんがプロ野球選手だったということを後から知った」と話す。
中日ドラゴンズ時代よりもすごいのは、1958年の夏、徳島商高の投手として全国高校野球選手権記念大会に出場、1大会83奪三振記録は今も破られていない。特に準々決勝での魚津(富山)の村椿輝雄投手と投げ合い、延長18回0-0の引き分け再試合となったのは甲子園史上の名勝負と言える。
(ジャーナリスト 佐藤太郎)