2024年 4月 19日 (金)

橋下知事は正しいか?「学力テスト公表論」の是非

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   大阪府の橋下知事による教育改革が議論となっている。具体的には、全国学力テストの結果公表を求める知事と、学校の序列化を危惧する教育委員会という対立構図だ。知事の側はテストの点を公表し、学校を選択できるようにすることで公立校の教育の質を上げようとする意見。一方の委員会側は、それによって均質が旨であるべき公立校に格差が生じ、受けられる教育に差がついてしまうという論理だ。どちらが正しいのだろう。

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   一般論を述べてもつまらないので、自身の経験から思うところを述べたい。今から十数年前、筆者がまだ高校生だった頃のことだ。当時、山口の県立高校に通っていた僕は、2、3年生の時に授業を聞いた記憶がない。できるだけ教師の話を聞かないようにしつつ、受験用の勉強をこなす日々だった。ちなみに僕だけやさぐれていたわけではなくて、周囲はほとんどそうだった。

   授業が形骸化していた理由は明らかだ。地方の公立校には、多少の選抜はあるにせよ、地元の生徒がほぼスライド式に入学してくる。進路も学力レベルも様々だから、卒業後就職する人間もいれば、東大を狙う人間もごちゃ混ぜだ。そういう人間向けに授業をするとすれば、最大公約数的な内容にならざるをえない。いわば「テレビ番組のバラエティ化」のようなものだ。結果、各自は自分のレベルに応じた自習を、授業中にすることになる。

   一方の私立進学校はカリキュラムもレベルも最適化しているから、まったく授業の質が違う。2年生の全国模試で、進学校の1年生が上位に名を連ねているのを見て、「越えられない壁があるな」と感じたものだ。

公立校の「序列化」も必要だ

   壁自体はあっていい。エリートを伸ばす努力を、戦後日本はあまりにも怠ってきたように思う。ただ問題は、その壁が事実上、私学に行ける家庭とそうでない家庭との間に立てられている点にある。

   学校の序列化が一定度進めば、公立校の中にもエリートコースが形成され、高いレベルの教育が実現できるはずだ。さらに言えば、学習到達度の高くない人は、より理解しやすい教育を受けることも可能になる。これこそが公教育の充実と言うことだ。

   「公立校と名の付く以上、公平な教育を提供すべきだ」というトンチンカンなことを言う人もいるが、「とりあえずミックスしときゃあ平準化されるだろ」と言っているようなもので、そこにはなんの創意工夫も努力も見られない。こういう人が教育関係者なるものの主流だとすると、実に頭の痛い話だ。

城 繁幸

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人事コンサルティング「Joe's Labo」代表。1973年生まれ。東京大学法学部卒業後、富士通入社。2004年独立。人事制度、採用等の各種雇用問題において、「若者の視点」を取り入れたユニークな意見を各種経済誌やメディアで発信し続けている。06年に出版した『若者はなぜ3年で辞めるのか?』は2、30代ビジネスパーソンの強い支持を受け、40万部を超えるベストセラーに。08年発売の続編『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか-アウトサイダーの時代』も15万部を越えるヒット。ブログ:Joe's Labo
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