オーマイニュースはなぜ挫折したか 「敗軍の将と兵」が語った1万字(上)

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   ネット時代を象徴する「市民メディア」として大きな注目を浴びて船出したオーマイニュースが、3年後の2009年春、ひっそりと帆を下ろした。韓国では成功したのに、なぜ日本では失敗したのか。元編集長や編集部員、市民記者が「敗因」を振り返る公開反省会が2009年5月27日、東京・阿佐ヶ谷のライブハウスで開かれた。

>>オーマイニュースはなぜ挫折したか(中)
>>オーマイニュースはなぜ挫折したか(下)

最後までビジネスモデルが描けなかった

左から、平野日出木・3代目編集長、元木昌彦・2代目編集長、吉川忠行・元編集部員
左から、平野日出木・3代目編集長、元木昌彦・2代目編集長、吉川忠行・元編集部員

司会(藤倉善郎:元編集部記者) オーマイニュースは一般市民に記事を投稿してもらって成り立つ「市民メディア型」のニュースサイトで、2006年8月に創刊した。ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが初代編集長となって鳴り物入りでスタートした。

   だが、鳥越さんが体調不良ということで、07年2月に元週刊現代編集長の元木(昌彦)さんが編集長代理に就任。その年の6月に鳥越さんは辞任して、元木さんが編集長になった。08年8月にはオーマイニュースというニュースサイトは廃刊になり、「オーマイライフ」というマネー情報サイトに替わったが、今年(09年)4月に完全に閉鎖されることになった。

元木昌彦(2代目編集長) 鳥越さんからは、2006年12月の終わりに「体調が良くないので、変わってくれないか」という電話があった。翌年1月にオーマイニュースに行ったら、(韓国オーマイニュースの創業者で、日本でも初代社長を務めた)オ・ヨンホ(呉連鎬)代表がいて、鳥越さんは30分くらいで「よろしく頼む」と言っていなくなっちゃった(会場笑)。俺は引き継ぐにしても、オーマイニュースをどうするのか話したかったんだが……

   実は、オ代表と鳥越さんにはオーマイニュースが始まる前にも会っていて、意見を聞かれた。私は「失礼だけど、成功する確率は低いだろう」と申し上げた。オーマイニュースは韓国で成功したメディアだが、それを日本にもってくるのは国民感情だけでなく、なかなかむずかしいのではないか、と。

   1つには、韓国と日本の言論状況は相当違う。韓国は歴史的に独裁体制で言論統制されていた時期があり、それが金大中大統領になってITを進めていくなかで、オさんが「市民みんなが記者」というコンセプトでオーマイニュースを作った。だが、日本は韓国と違い、言いっ放しの言論の自由はいっぱいある。韓国からオーマイニュースをもってきても、少ない原稿料(300円程度)が欲しくて記事を書く人はいないだろう。

ネットメディアにふさわしい「人材」を集められなかった

元木 それから、ビジネスモデル。オさんは、市民記者の数を増やしてページビューをあげていけば広告も入ると考えていたが、日本では非常に難しい。私は講談社で「Web現代」というサイトをやっていたが、一日100万ページビューがあっても(経営的には)難しいだろうと、創刊前にオさんと鳥越さんに言った。

   その後、鳥越さんから電話があって、07年2月から鳥越さんを引き継いでオーマイニュースに入った。やっぱり私が危惧していた通りの状態だった。特にビジネスモデルがまったく描けない。私はまず編集長代理で、6月から編集長だったが、編集長というのは数字のことは分からなかった。

   07年12月には突然、代表取締役社長になった。だが、「ソフトバンクから相当な資金援助があったとしてもやっていくのはきついだろう」と思っていた。案の定、3ヶ月後の08年3月に、ソフトバンクからこれ以上の追加融資はできないと言われた。

平野日出木・3代目編集長
平野日出木・3代目編集長

司会 創刊当初からオーマイニュースに関わっていた平野さんからみて、オーマイニュースの敗因はなんだったのか?

平野日出木(3代目編集長) オーマイニュースに入ったのは2006年7月4日。09年1月末に退くまで2年7ヶ月間いたから、ここにいる中では一番長い。敗因の1つは、編集部や市民記者を含めて「人」の問題。私も含めてだが、ベストの形で盛り上がれるような人を集められなかったのではないかと思う。

   会社ができたのが(創刊3ヶ月前の)06年5月だから、非常に短い期間でいろんな人を集めないといけなかった。その間にいろいろとウェブの世界に詳しい人にも会ったのだろうけど、そういう人を集めることはかなわず、紙メディアやテレビの人でやっていかざるを得なかった。

   市民記者として来ている人も、どちらかというと「反日的な人」が集まってきてしまった。そういう反対派の人達はそのうち「反編集部」にもなっていって、たいへんストレスフルな毎日を送らざるをえなかった(会場笑)。

   2つ目として、お金の問題も当然あった。いろんな人の話から僕なりに解釈したところでは、ソフトバンクがどういう形でお金を出してくれるかという点について、オ・ヨンホ(代表)とソフトバンクの間でちゃんと理解ができていなかったのではないか。オ・ヨンホは、JanJanのスポンサーである富士ソフトや、ツカサネット新聞のスポンサーであるツカサ都心開発のように、恒常的に資金を補給してくれるスポンサーとして、ソフトバンクのことを捉えていたふしがあった。

   08年3月にお金がなくなりかけて、オ・ヨンホと孫正義(ソフトバンク社長)の間でサミットミーティングがあったとき、オ・ヨンホは直前まで「俺にまかしておけ。絶対、大丈夫だから」と言っていた。「大丈夫ですか? 僕らは何もしなくていいんですか」と聞いたが、「いや、まかせておけ。信頼関係で大丈夫だから」と。それに多少期待していたところがあったが、あえなく沈没して大変なことになった。

   孫さんは、ウェブビジネスでどこかが成功したときのために、いろんなところに種をまいているが、オーマイニュースもその一つだろうと僕たちは思っていた。だが、韓国の創業者はそのように理解していなかったのではないか。

ネットでも韓国と日本の国民性が違う。そこを甘くみていた

平野 3つ目は、国民性の問題。さきほど元木さんが「最初から成功するはずがなかったのではないか」と話していたが、2006年にスタートしたとき、僕はそこまで分析的ではなく、「新しいことだからやってみようじゃないか」ということで飛び込んだ。

   だがその後、本など読むと、ウェブの使い方は国民性が相当はっきりしているのだと知った。フォレスターリサーチというアメリカのリサーチ会社が2007年ぐらいに調べた調査では、(ウェブへの参加度が高い)「クリエイター」というタイプの人が韓国では38%なのに対して、日本では22%。その次のレベルの「クリティーク」という、人が書いたものにコメントしたりレビューしたりする人は、日本が36%で、韓国は27%。(ウェブへの参加度が最も低い)「スペクテイター」という記事を読むだけの人は、日本70%に対して、韓国は39%。これだけ国民性がまったく違う。

   しかしオーマイニュースは、オ・ヨンホが最初にやったのが正しい道だということで、日本のマーケットを全然分析しないまま「韓国モデル」で行き、僕らも素人だからついていった。「これで市民メディアも盛り上がって行くのかな」と思ったが、あまり盛り上がらなかった。

   その後、オ・ヨンホも「日本ではこのやり方では通用しない」と迷っている感じがあったが、そうなったときに「次はこういう方向に行こう」と明確なビジョンを描いて、リソースをさいて突き進むのではなく、試行錯誤で進んでしまった。僕も元木さんも迷いながらいろいろ試していったが、そうこうしている間にお金が尽きてしまった。

オーマイニュースの社員には「気概」が足りなかった

小田光康・元市民記者トレーニングセンター長
小田光康・元市民記者トレーニングセンター長

司会 次は(市民参加型メディア「PJニュース」編集長の)小田さんに聞きたい。小田さんはオーマイニュースの「市民記者トレーニングセンター長」をしていたが、結局これはどうなったのか。それから、いま「PJニュース」の編集長をしている目から、オーマイニュースという市民メディアはどういうものだったかコメントしてほしい。

小田光康(PJニュース編集長) 「市民記者トレーニングセンター」というのを作ろうということで、オさんと僕が話をしたが、話が決まってから2、3ヶ月で一方的に立ち消えになった。理由はよくわからないが、資金的なものだと聞いた。

   オーマイニュースがなぜこうなったのか。論点は3つある。1つは、オーマイニュースの目的。オーマイニュースは、市民から吸い上げた記事をどんどん公開していくことを目的にしていたのか。あるいは、市民記者のなかで、記事以外の「議論」を活発にしようとしていたのか。僕は後者が重要だと考えているが、そのへんのところがそもそも間違っていたのではないか。

   2つ目は、収支のバランス。市民メディアといえども資本主義のなかにいる以上、採算があわないといけない。永遠に資金が供給されるということはないし、そういうことはソフトバンクという会社をみればわかるが、そういう認識が甘かった。編集部に10人も20人もいて、オフィスをかまえて設備をもっていたら、それなりの出費がかかるのはわかる。それに対して、いくらの広告があるかもわかる。ちょっと紙に書いて計算すればわかるのに、お金のことはわからないというのはどうかと思う。

   3つ目は、これは一番重要だが、社員の人達の「信念」というか、「どんなに叩かれてもがんばっていくぞ」とか、「このメディアを継続してくんだ」という気構えが足りなかったのではないか。ある種のベンチャー企業を継続して拡大していく気概があまりなく、雇われてやっている雰囲気が非常に強かったのではないか。僕なんかはPJニュースを一人で立ち上げて今でもやっているが、そういう気構えが違うのではないかと思っている。

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