2020年 10月 25日 (日)

オーマイニュースはなぜ挫折したか 「敗軍の将と兵」が語った1万字(中)

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   オーマイニュースには多いときで20人近くのスタッフがいた。市民記者が投稿した記事をチェックする編集部員のほか、どのように掲載すべきかを判断するデスクや市民記者との窓口になるサポート担当者がいた。なによりも実際に記事を書いていたのは、約5000人の市民記者だった。彼らはどんなことを考えながら、オーマイニュースとかかわっていのだろうか。

>>オーマイニュースはなぜ挫折したか(上)
>>オーマイニュースはなぜ挫折したか(下)

ネットメディアなのに「広告営業」の担当者がいなかった

村上和巳・元編集部デスク
村上和巳・元編集部デスク

司会(藤倉善郎:元編集部記者) 編集部のスタッフから見てオーマイニュースの問題はどこにあったのか?

村上和巳(元編集部デスク) 2007年秋から、オーマイライフに変わる直前の08年6月まで、週1回のデスクをやった。ページビューをあげるのが目標だったが、収益構造は数ヶ月たっても見えてこなかった。デスクをやっている立場から広告がつきそうな企画を提案したこともあるが、「専任の広告営業担当はいない」と言われた。「ネットメディアは広告を取るのが前提のはずなのに、広告営業担当がいないのはどうして?」と思った。

吉川忠行(元編集部員) 僕が不思議だと思ったのは、元木さんや平野さんが日本側のトップにいて、我々と会議をして何か決めても、結局オ・ヨンホのOKがないと決まらなかったこと。しかも最初はOKしたのに、来日すると話が振り出しに戻ることがよくあった。「あがりのない人生ゲーム」のような状態がずっと続いていた。

元木昌彦(2代目編集長) オさんはジャーナリストとしては優れているが、経営者としては十分ではなかった。営業担当者のことも2007年2月から言っていたが、実際に来たのは翌年の2月で、1年かかった。そのときはほとんど手遅れだった。何も手を打てなかったのはじくじたる思いがあるが、韓国にいて月に1回だけくる代表と意思疎通がうまくできなかったのも、一つの大きな要因だったと思う。

平野日出木(3代目編集長) ソフトバンクとオ・ヨンホの間のコミュニケーションのズレも、最初から感じていた。ソフトバンクにすごい技術者がいると2006年5月ぐらいに聞いたが、フタをあけてみるとそんな技術者はいなかった。創刊日が決まっているなかで、急遽外部のベンダーに頼んだから、非常に高いものをふっかけられてしまった。

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