不正をしても見つからないと思うと、「こうしたい自分」はさらに勢いづく。巡査部長はきっと、「警察官が放置自転車を撤去しても周囲に怪しまれることはない」「部下もだまって従うだろう」と高をくくっていたのではないだろうか。
不正を思いとどまる最後の砦が倫理観だが、このような状況では麻痺してしまい、「どうせ捨てられた自転車だ。犯罪摘発に活用して何が悪い」などと正当化が幅を利かせるようになる。かくして、不正のトライアングルが完成し、人はダークサイドへと足を踏み入れてしまう。
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