2024年 4月 25日 (木)

勉強熱心でスキルも高い「スーパーマン」 だけど飛べなかったら意味がない

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   読者の周囲に、こんな人は、いないだろうか?

   「グローバル人材にならないと生き残れない」とか言って、仕事よりTOEICのスコアアップに力を注ぐ人。

   「個人のキャリアのほうが、会社の寿命より長い」だとか「自分の価値は幾らなのか知りたい」とか言って転職エージェントに登録し、絶えず"キャリアアップ転職"のチャンスを伺う人。

「意識高い系」と呼ばれる人たち

マントだけでは飛べません
マントだけでは飛べません

   人事考課の時期、「評価が不満」だと上司に噛み付き、挙句、職場での居心地が悪くなって、「いつでも転職できるスキルを鍛える」なんて言って国内MBA通いを始めた人。

   「人脈こそ資産」とか言って、5時起きで朝会に足繁く通い、そのせいで午後にはガス欠している人。

   「5年後食える仕事」とか「新しい働き方はコレだ」みたいなタイトルのビジネス書や自己啓発書に目がなく、その「まとめ」をブログやツイッターにアップしては悦に入っている人。

   残業をパスしてでも、「これからのキャリアを考える」とか「今後の女性の働き方」みたいなタイトルのセミナーに大枚はたいて通う人。また、その感想を得々とフェイスブックに上げる人。

   休職願いを出して、最近、会社に来なくなったと思ったら、いつの間にか、資格を取得し独立するといって辞めて行った人……。

   彼ら彼女らは、一様に、「昨日より今日、今日より明日の自分が成長していたい」と成長意欲が高い。

   時には夢を手帳に書き込み、エクセルで人生プランを作る程に上昇志向、キャリア志向が強く、戦略的だ。俗に言う、「意識高い系」と呼ばれる人たちである。

   ごリッパとしか、いいようがない。

   だが、彼ら彼女らの、実際の「活躍ぶり」は、どうだろうか?

   スキルアップの成果は、着実に出ているだろうか?

   周りにそういう「意識高い系」の人がいる、という読者のなかには、首をひねる人も多いのではないか。

   本連載では、こうしたスキルアップに余念がなく、勉強熱心で、実際スキルも高いのに、なぜか報われていない人を「飛べないスーパーマン」と命名。彼ら彼女らの現状に迫るとともに、なぜ、高いスキルを獲得しても、飛躍できない人が多いのか――その、背景と理由に、迫りたい。もっと素朴に、「目の前の仕事」に真摯に取り組む方が、学ぶことや得るものは多いのではないだろうか?

MBAを取得、都銀を辞めて外資系コンサルへ転職したが…

   初回は、MBAをテコに、キャリアアップしようとしたものの、シナリオ通りにはいかなかった「飛べないスーパーマン」を紹介したい。

   MBAと言えば、Master of Business Administrationの略称。昔も今も、文系サラリーマンに絶大な人気を誇る修士号だ。

   筆者は、都市銀行を経て、米名門ビジネススクールに留学し、外資系コンサルティング会社に勤めたあと、ベンチャー企業の役員に転じた男性(48歳)を知っている。彼は、「今では信じられないことかもしれませんが、1990年代初頭までは、大学でも銀行でもめぼしい同期の大半は、社費で(海外の)MBAを取りに行っていた。私も大学に行くのと同じ感覚で、MBAを取りました」と言っていた。それほどに、エリートビジネスマンのパスポートとも言える存在だった。

   当時はビジネススクールの夏休みにもなると、マッキンゼーだのボストンコンサルティンググループだの、そうそうたるコンサルティング会社や、投資銀行などが、向こうのほうから、インターンに来ないか?と誘ってきて、そのまま就職する人が多かったそうだ。

   90年代までは確かに、そんな「古き良き時代」があったのだ。

   バブル経済直後の日本は、まだその余韻で国力があったから、欧米の名門ビジネススクールも、優先的に日本人を受け入れていたし、MBAそのものに希少価値があったため、就職・転職に俄然有利な印籠として充分、機能したのである。

   ちなみに、彼の場合、その後どうなったのか? MBAを取得したお蔭で、輝かしい活路が開かれた時期もあったが、一つの会社で順調にキャリアを重ねていく人生より、はるかに重い労苦を味わったと、振り返る。

「アメリカのビジネススクールに行ったら、当時勤めていた都銀の世界が、色褪せて見えちゃいましてね。何歳で支店長になって、何歳でマンションを買って、何歳でローンを返済して終わり、みたいな人生は嫌だなと。それで銀行を辞めて、夏休みにインターンした外資系コンサルティング会社にそのまま転職。でもコンサルの世界は、UP OR OUT(昇進かさもなければ退社か)といって、ヒラからマネージャー、マネージャーからプリンシパル、プリンシパルからパートナーと、およそ3年おきに階段を上がって行かなければいけない。僕の場合はプリンシパルで躓いて、ヘッドハンターにベンチャー幹部の仕事を探して貰ったんです」

   これが凶と出た。そのベンチャーの社長は、怪しい筋に人脈のあるきな臭い人物で、会社も数々の違法行為をしていたことが判明し、数年で会社は事実上解体、彼も解雇された。

「無限の可能性があると調子に乗ってしまった」

   あれから、10年弱。小さな外資系企業の経営企画や、ベンチャーのマネージャー職を渡り歩き、今は、小さなITベンチャーの役員をやっているという。結婚もしていない。

「海外名門大学でMBAを取得したことで、自分には無限の可能性があると調子に乗ってしまった。時々、あのまま銀行に残っていれば…こんな苦労はしなかったのにと思うことはあります」

   もっとも、彼のMBAの同期の中には「官公庁を辞めて、大手ベンチャーに行き、役員をやっている人、外資系コンサル会社のパートナーになった人など成功者もいる」と言う。

   とはいえ、「そんな成功例がある時代はとっくのとうに過ぎ去った」とも指摘する。日本経済は「失われた10年」に突入し、社費で海外のビジネススクールに派遣して貰える日本人は激減した。

   一方、海外MBAの学費は高騰しており、あのハーバード大学ビジネススクールの学費は実に年間5万3500ドル(日本円にして555万円前後)に及ぶ。これに生活費を加えると、独身で7万ドル、妻子がいると9万ドル以上かかる計算になる。

   さらに、企業派遣は激減しているから、大半の人が、会社を辞めて、留学する。加えて、日本人のMBA取得者が増え、MBAを取得することの希少性は減ってしまった。

   そんな状況下で、次なる職も定まらぬ中、大枚をはたいて留学するのは、すっかりリスキーな投資となってしまった。

   そこで、最近、上昇志向の高いビジネスパーソンの間で人気を集めるのが、次回に取り上げる国内MBAだ。(佐藤留美)

「飛べないスーパーマン」、あなたの周りにいますか?
たくさんいる
少しはいる
いない
自分のことだ・・・
その他
佐藤 留美(さとう・るみ)
ライター。企画編集事務所「ブックシェルフ」(2005年設立)代表。1973年東京生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒。出版社、人材関連会社勤務を経て、現職。著書に、『資格を取ると貧乏になります』(新潮新書)、『人事が拾う履歴書、聞く面接』(扶桑社)、『凄母』(東洋経済新報社)、『なぜ、勉強しても出世できないのか?』(ソフトバンク新書)、『結婚難民』(小学館101新書)などがある。
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