日本産業界の能天気ぶりを喝破 「失敗学」から見る経営者の傲慢

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『技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道』(畑村洋太郎著、講談社現代新書、税別740円)



   ここ数年の間に顕著となった半導体や液晶テレビなどでの日本製の劣勢は、技術大国ニッポンの衰退の象徴として繰り返し語られてきた。日本の「失敗学会」の立役者であり、世界のモノづくりの現場に足を運び続けてきた著者が、その本質と今後の処方箋について明快に自説を展開した本だ。「技術論」の書かと敬遠する向きもあるかもしれないが、「産業論」「経営論」といったほうがいい。

   著者は、2011年に起きたあの東京電力福島第一原発事故を検証するため、政府が設けた事故調査・検証委員会の委員長も務めた。本書でもその時の経験に触れているが、原発という先端技術の塊を扱っている日本の電力会社の現実に戦慄を覚える場面でもある。そこに著者は、日本の産業界の傲慢を見る。

考え方を変えられるかどうか

   戦後、奇跡の経済復興を遂げた日本の産業界が、70年を経て、なぜ、こうなってしまったのか。著者は「奇跡の50年」のあとの「失われた20年」を、世界の企業の具体例を客観的に示しながら示していく。それは、デジタルとグローバル化が推し進めたモジュール生産体制の波に翻弄され、それを心地よく揺られていると錯覚しながら、沈んでゆく日本の姿である。

   プロローグにある「自信が能天気につながる」という言葉は、本書を貫くテーマかもしれない。高品質で歩留まりのいい生産ラインが逆に自分の首を絞めていることに気づかないことも含めて、日本の産業界は先を見通す能力と意欲を徐々に失ってきた。目からうろこが落ちるように、日本企業の技術運営のまずさを、実例で指摘するのはそのためだろう。大きな成功を経験したものほど、それを否定・破壊することは困難だ。

   技術の革新は、そのまま競争環境の変化に直結する。それまでの成長の前提が消えてしまうようなことが、一夜にして起きるのが技術の世界である。経営トップが賭けも含めて考え方を変えられるかどうか、が決定的に勝負を分けるのだという指摘は、いま苦境にあるいくつものメーカーを見ればわかる。

   こうした決断は、短期的な利益を重視するMBA的経営センスからは出てこないと指摘する一方で、なぜiPhoneが米国のアップルから生まれて、日本の企業からは出てこなかったのか、と問う著者は、米国流の企業経営にマインドコントロールされた日本の経営者への強烈な皮肉を放っていると感じた。(PN)

『技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道』
『技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道』
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