戸建ての家が並ぶ住宅街。家々の表札を眺めながら散策するのも楽しい。「中島」という表札がある。「なかじま」さんだろうか?「なかしま」さんだろうか?表札から読み取れる個人情報九州あたりの中島さんは普通、濁らない「なかしま」が多い。東のほうは「なかじま」と濁るようだが、東にも九州出身の濁らない中島さんが少なくない。「山田/鈴木」という表札がある。2世帯住宅のようだ。山田さんが親夫婦、鈴木さんが子供夫婦だろう。姓が違っているから、一般的な常識から言えば、鈴木さんは娘夫婦らしい。「〇〇勝」「〇〇誠」という男性の名前が並んでいる家もある。こちらは姓が同じだから、親夫婦、息子夫婦だろう。姑と嫁の仲はうまくいっているだろうか。ちなみに、「勝」というのは「勇」と並んで昭和10(1935)年代に多かった名前で、戦勝を祈る気持ちがあったようだ。「誠」のほうは、昭和30年代から50年代にかけて多かった。男性と女性の名前が表札の左右に並んでいる。姓は同じで、ふたりは夫婦のようだ。ただ、それぞれの名前の横に別のインタホンがついている。同じ家で「別居」しているのかしら? あるいは、男親と娘、女親と息子だろうか?以上がどれだけ当たっているかは別として、「表札」というものは、個人情報を結構話している。見ず知らずの通りがかりの人に向かって、こんなにしゃべりまくってもいいのだろうか。振り込め詐欺が後を絶たないなど、何かと物騒な世の中である。住宅街を空き巣の下見に回っているヤツもいるに違いない。表札の名前が参考にならないはずがない。そのせいだろうか、かつては家族全員の名前を書いた表札もあったが、今はまったくと言っていいほどに見かけない。表札なしでも郵便物はちゃんと届く戸建ての家が中心の住宅街にも、2階建てくらいの賃貸アパートがある。玄関をそっとのぞいてみると、人が住んでいるはずなのに、こちらには名前の表札がない。「101」「102」といった部屋番号があるだけだ。わざわざ名前を掲げるほどの立派な住まいではない、ということだろうか。僕は中国各地の7~8階建ての集合住宅に長らく住んできたが、表札を掲げたことはなかった。中国人たちも同じで、部屋は結構広くて立派なのに、番号だけだった。戸建て住宅にも表札はなかった。そのほかの国ではどうだろうか。知人一家が最近、3年間のイギリス生活を終えて帰国した。尋ねてみたら、「僕たちはフラット(日本でのマンションやアパートに相当)に住んでましたが、共有の玄関も個別の玄関も番号だけでした」。日本の住宅も、たとえば「〇〇町1丁目2-3」といった番号を玄関につけるだけで「必要十分」ではないか。郵便物などはちゃんと届くし、少しは「安全」にも役立つだろう。それに、賃貸アパートで表札なしの狭いひと間に暮らす人が、戸建て住宅の立派な表札を見たら、威張られているように思わないだろうか。逆に、戸建ての表札の持ち主はそうした人たちを、上から目線で見てはいないか。表札はいろんな「不利益」「不愉快」をまき散らしている。(岩城元)※「こんなものいらない!?」委員会は、みなさまからのご意見をお聞きしています。ぜひ、下記のワンクリック投票にご参加ください。
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