2021年 1月 21日 (木)

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かつて新聞記者は伝書鳩で記事を送った

   現在、69歳のJ-CASTニュース会社ウォッチ記者が新聞記者になったのは昭和48年(1973年)だった。現在ではスマホ1台あれば、事件・事故現場からメールで記事を送信し、写メで写真を送ることがすぐできる。記者の駆け出し時代は、公衆電話を見つけて、記事を吹き込み、会社の同僚に書き取ってもらうしかなかった。

   公衆電話もない山間部に取材に行くときは、重さ3~4キロもある無線機を担いで登った。特に写真を送る手段が大変だった。まず、フィルムを現像しなくてはいけない。そのため、フィルムの現像液と定着液を作る粉末キット、そして写真を焼き付ける印画紙を持参、現場近くの民家に飛び込み、押し入れを借りて、「暗室」を作るのだ。そして、懐中電灯を使ってフィルムを印画紙に焼き付ける。

かつて伝書鳩で新聞記事を送った時代があった(写真はイメージ)
かつて伝書鳩で新聞記事を送った時代があった(写真はイメージ)

   そして、持参した「電送機」に写真を巻き付けて、本社まで写真を電送するのであった。それやこれやの機材を合わせると、かなりに重量になるため、新聞記者は肉体労働というわけで、長らく女性記者は少なかった。

   記者より5~6歳上の世代、1960年代後半までは、記事や写真を送るのに伝書鳩が使われていた。先輩の話によると、事件・事故現場に伝書鳩を数羽連れていき、足に記事のメモを取り付け、放つのである。伝書鳩は真一文字に本社に向かって飛んでいく。

   1羽ではなく、数羽連れて行くのは、途中でハヤブサやタカに襲われるケースが多いからだった。「無事、戻ってくれよ!」。先輩はそう祈って、いつも伝書鳩が向かった方角に祈ったという。だから、新聞社の本社ホールには、今も伝書鳩の慰霊の銅像が立っている。

(福田和郎)

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