2024年 4月 25日 (木)

原発事故から「逃げた」記者が原発周辺に住んでみたら......【震災10年】

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安倍首相は「アンダーコントロール」だと答えたか?

   本書では「原発事故による死者」とは何か、具体的な記述はない。しかし、馬場氏が「事前に何らかの連絡が入っていたら、浪江町には当時、助けることができたかもしれない命があった」と語っていることから、将来の健康被害を念頭に置いていたのかもしれない。

   東電と政府の「無作為」の殺人の可能性。三浦さんは2007年に発生した新潟県中越沖地震の際に新潟総局に勤務していたため、東京電力柏崎刈羽原発の火災を取材、全国の原子力の現場を回った「原発記者」だった。三浦さん自身、いかなる自然災害にも原発は安全であるという神話を信じていた、と告白している。

   だから、東日本大震災の発生時、東京から北へ向かう車中で、福島第一原発で爆発事故が起きた可能性があるというラジオニュースを聞いても、そのまま三陸へ向かったという。

   「何かの間違いだろう」と事故から「逃げた」のだと。そんな後ろめたさが、アフリカから日本に帰り、三浦さんを福島に向かわせたのだろう。

   紹介した2人だけでなく、さまざまな思いを抱いて福島で生きている人たちが登場する。明るい話もあるが、グレーな話も少なくない。

   東京オリンピックの聖火リレーは2021年3月25日、福島県の原発被災地からスタートすることになっている。浪江町のリレー会場は、国が建設を進める水素製造施設だ。かつて東北電力浪江・小高原発の予定地だったが、反原発運動もあり頓挫したのだった。

   じつは建設予定地の98%の土地買収は済んでいた。そして水素製造施設へ転用されることになった。この土地を巡るきな臭い動きは、2014年に河北新報が報じていた。そして馬場氏もまた三浦さんにこの土地買収の経緯を取材するように依頼していた。

   昨年(2020年)3月7日、この水素製造施設「福島水素エネルギー研究フィールド」の開所式には当時の安倍晋三首相が出席した。取材を拒否された三浦さんは当日、「ゲリラ取材」を敢行する。

   今でも「アンダーコントロールだとお考えでしょうか」という質問への答えは......。

   余談だが、東北電力浪江・小高原発の反対運動を当時取材していた評者は、河北新報が報じた反対運動の闇に衝撃を受けた。いま原発予定地は水素製造施設に姿を変えた。どこまでも国のエネルギー政策に翻弄される「哀しい土地」だと思った。(渡辺淳悦)

「白い土地 ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」
三浦英之著
集英社
1800円(税別)

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