2021年 6月 24日 (木)

富士写真フイルムから「写真」を外した古森CEO 21年間にピリオド

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   この四半世紀は、世の中のさまざまな事象がアナログからデジタルに移行した。たとえば「メール」と言えば、誰もが電子メールを思い浮かべるようになった。写真もそうだ。35ミリフィルムで数十枚撮ったら交換していたのが、爪先ほどのチップに数千枚も保存できるようになり、そもそもカメラ自体がスマートフォンの機能の一つに取り込まれた。

   写真フィルムの需要が急減する中で、世界有数のメーカーだった富士写真フイルム(2006年から富士フイルムホールディングス)の事業構造を大きく転換して、会社を救った古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO)が経営の一線を退くことを決めた。

  • 写真フィルムを使うカメラはデジタルに、そしてスマホに……(写真はイメージ)
    写真フィルムを使うカメラはデジタルに、そしてスマホに……(写真はイメージ)
  • 写真フィルムを使うカメラはデジタルに、そしてスマホに……(写真はイメージ)

「状況の打開が命題。改革は成功した」

   2021年3月31日の記者会見で、81歳の古森重隆氏は6月の株主総会で退任して、最高顧問に就くと明らかにした。2000年に社長に就き、2012年には会長となったが、経営トップを務めた期間は通算21年。写真フィルムが衰退した時期と重なる。

   振り返って、

「状況の打開が命題だった。特徴ある技術やブランドを活用して多角化を進め、改革は成功した」

と胸を張った。

   東京大学経済学部を卒業して富士写真フイルムに入社。主に営業畑を歩んだ。1990年代後半はコンパクトタイプのデジタルカメラが相次いで発売された時期で、1999年にはニコンが投入した一眼レフタイプを皮切りに写真のプロもデジタルカメラを手にするようになった。

   当時、会社の売上高の約6割は写真フィルム関連が占めていたほどで、需要減少は致命的だった。折しも2002年にはデジタルカメラの出荷台数がフィルムカメラを逆転し、斜陽化は避けられない状況だった。

   そこで古森氏は「第二の創業」を掲げ、写真フィルムで培った技術を新規事業として成長させる方針を打ち出した。それが医療関連や化粧品の分野であり、M&A(企業の合併・買収)も含めて積極的に展開していくことになる。

   2008年には富山化学工業(現・富士フイルム富山化学)を約1370億円で買収して、医薬品事業に本格参入。2011年には米国企業の事業を買収して、バイオ医薬品の開発製造受託にも参入した。

米ゼロックス買収断念は「悔しい出来事」

   もう一つの柱としたのは、コピー機や複合印刷機など事務機器だ。1962年に米ゼロックスと合弁で設立した富士ゼロックスについて、2001年には米ゼロックスの持ち分の一部を買い取って連結子会社化した。

   この分野をさらに強化しようと2018年には米ゼロックス自体の買収を目指した。米側からの申し出を受けてのものだったが、米ゼロックスの株主が猛反発。買収価格引き上げを求められたが、「そろばんに合わない」と判断して断念。最終的には米ゼロックスから残りの富士ゼロックス持ち分を買い取って完全子会社化した。

   ゼロックスの一件は思いどおりにならなかったが、事業の構造転換全体については、だれしも合格点以上をつけるだろう。2021年3月期の連結最終利益は過去最高の1600億円を見込む。同じ世界的な写真フィルムメーカーだった米イーストマン・コダックが、2012年に経営破たんしたのとは対照的だ。

   富士ゼロックスは「ゼロックス」の商号を使えなくなり、2021年4月1日に社名を「富士フイルムビジネスイノベーション」に変更したが、古森氏が退任の記者会見を開いたのはその前日。米ゼロックス買収断念を「悔しい出来事だった」とこの会見で振り返った古森氏は、「富士ゼロックス最後の日」を節目の日に選んだ。(ジャーナリスト 済田経夫)

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