2024年 4月 20日 (土)

【7月は応援! 五輪・パラリンピック】もうしばらくオリンピックで野球の試合を見られなくなるかもしれない!

   東京五輪・パラリンピックが2021年7月23日に開会式を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期され、いまなお世界各地で猛威を振るっている中での開催に、さまざまな議論が巻き起こっているが、アスリートの活躍には応援の声を届けたい。そう思っている人は少なくないだろう。

   そんなことで、7月はオリンピックとスポーツにまつわる本を紹介しよう。

   2021年7月13日(日本時間14日)、米大リーグのオールスター戦で、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手がア・リーグの「1番指名打者」と「先発投手」として史上初の「二刀流」で出場する歴史的快挙を成し遂げ、野球への関心を盛り上げた。

   一方、無観客での開催が決まった東京オリンピックは、開会式まで1週間が迫っても、関心はパッとしない。本書「プロ野球vs.オリンピック」は、幻の東京五輪(1940年)に焦点を当て、プロ野球草創期の秘話を掘り起こした本である。

「プロ野球vs.オリンピック」(山際康之著)筑摩書房
  • 東京五輪・パラリンピックの開幕を待つ新国立競技場
    東京五輪・パラリンピックの開幕を待つ新国立競技場
  • 東京五輪・パラリンピックの開幕を待つ新国立競技場

プロ野球球団が生まれるまで

   著者の山際康之さんは、1960年生まれ。桑沢学園理事長・東京造形大学学長。専門はエコデザイン。その一方で、ノンフィクション作家として、「兵隊になった沢村栄治」、「広告を着た野球選手」の著書を持つ。

   まだ、日本にプロ野球がなかった頃の話から始まる。1931年、東京六大学対全米選抜の日米野球が成功すると、読売新聞社長の正力松太郎は36年からのプロ野球発足を決意する。同じ頃、ベルリン五輪での野球競技が決まり、アメリカはベーブ・ルースを代表監督にすると発表。さらに東京が五輪開催に名乗りをあげ、選手たちが五輪出場かプロ野球かで悩むなか、各球団による争奪戦が始まる、というのがメインの話だが、そこにいたる日本のプロ野球の「前史」を紹介している。

   大正9(1920)年、日本運動協会という球団が生まれた。日本初の職業野球団である。東京・芝浦に球場を構えていたことから芝浦協会と呼ばれたが、野球を商売にすることへの偏見もあり、興業は思うようにすすまなかった。そこへ関東大震災が追い討ちをかけた。芝浦球場は救援物資配給の基地になり、球場使用のめどが立たず、協会は解散に追いやられてしまった。

   見かねた阪急電鉄の小林一三が救いの手を差し伸べ、宝塚運動協会として再出発したが、うまく行かなかった。

   33年に「東京臨海野球場株式会社」の株式募集という広告が、東京朝日新聞に掲載された。芝浦の埋め立て地に12万人収容の球場を建設。球場付属チームもつくるという触れ込みだった。だが、この話も立ち消えになった。

   職業野球団の創設を夢見る早稲田大学関係者が頼ったのは、読売新聞社長の正力松太郎だった。34年6月、正力の後押しで株式会社大日本東京野球倶楽部の事務所が開設された。全日本チームをつくり、日米野球が終われば、職業野球団に生まれ変わる手はずになっていた。契約選手第1号は早稲田大学を中退した三原脩だった。

   同年11月、ベーブ・ルースら大リーグ選手たちによる全米チームが来日した。銀座通りが群衆で埋め尽くされる読売新聞の写真が掲載されている。そうしたなか、米国オリンピック協会が、36年に開催されるベルリンオリンピックで、「日本対米国の野球エキシビション試合が決まった」と発表した。

職業野球リーグの創設とオリンピック

   それまでもオリンピックにおける野球は、米国のセントルイス大会やスウェーデンのストックホルム大会で公開競技として行われたことがあった。東京市は、1940年のオリンピック候補地として名乗りをあげていた。もし開催が決まれば、ベルリンの次の東京大会では正式な競技になるかもしれない。だが、職業野球選手はオリンピックに出場できない。オリンピックを目指すか、職業野球の道へ進むか、選手たちは選択を迫られることになる。

   35年には、全日本チームが渡米、大リーグの下位組織のチームや地域のセミプロ相手に109試合を行い、74勝34敗1分という成果を挙げ、帰国した。旅の途中で、トウキョウ・ジャイアンツという名称に決まると、新聞では東京巨人軍と呼ぶようになっていた。

   巨人軍が渡米している間に、正力は新聞社や鉄道会社に声をかけ、職業野球リーグの創設に動いていた。阪神電鉄など各社の動きが詳しく書かれている。世間の目は必ずしも好意的ではなく、選手集めにも苦労したようだ。

   36年2月5日、日本職業野球連盟の創立総会が開かれた。加盟したのは東京巨人軍のほかに大阪タイガース、阪急軍、東京セネタース、金鯱軍、名古屋軍、大東京軍の7チームだった。

   これに不快感を示したのが、都市対抗野球連盟と六大学野球を統括する東京大学野球連盟だった。オリンピックの東京大会が実現すれば、野球は競技として採用される。六大学を中心としたチーム編成が求められるため、職業野球に優秀な人材を奪われることを警戒し、職業野球との絶縁を宣言した。

   この後、本書の記述は重苦しくなる。巨人軍の三原らが続々と軍隊に入営。多くの戦死者を出す。オリンピック東京大会の返上が決まる。

   野球は1984年のロサンゼルス大会などで公開競技として行われ、92年のバルセロナ大会でようやく正式競技となった。そして、2000年のシドニー大会からプロ野球選手の参加が解禁された。だが、12年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会では実施されず、今回の東京大会では正式種目としては採用されなかったものの、開催都市提案の追加種目として実施されることになった。

   この夏、7月28日にオープニングラウンドの初戦、ドミニカ対日本の試合が福島あづま球場で行われる。2024年のパリ大会では野球は実施されない。28年以降は未定である。プロ野球とオリンピックとの長く複雑な関係に思いを馳せ、テレビ観戦したい。(渡辺淳悦)

「プロ野球vs.オリンピック」
山際康之著
筑摩書房
1650円(税込)

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