反乱を企てたロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏の進路に、世界中の注目が集まっています。
軍を率いてモスクワのわずか200キロまで迫り、世間を震撼とさせた後、突然のベラルーシへの亡命。消息不明説や暗殺説も流れるほどでしたが、報道によると、どうやらベラルーシに到着しているようです。
「プーチンのお気に入り」として、巨大な財を築いたとウワサされるプリゴジン氏。屋台でホットドックを売っていた「hotdog seller」からプーチン大統領の座を脅かす存在にまで上り詰めたドラマティックな人生を、海外メディアがこぞって紹介しています。
今や「時の人」となったプリゴジン氏ですが、数年前までは「謎の存在」だったというから、驚きです。
「hotdog seller(ホットドック売り)」から、プーチン氏を「パパ」と呼ぶまで
世界中を驚かせた、ワグネル・プリゴジン氏の「反乱」。ワグネル軍がモスクワに向けて進軍する様子がSNSなどで拡散されましたが、各国メディアも特別体制を敷いて、ライブで速報を伝え続けました。
大富豪や政府首脳らのプライベートジェットが次々とモスクワを発っているといったウワサも広がり、プーチン大統領の亡命説まで流れたほどでした。
ところが、ふたを開けてみたら、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介でワグネル軍のモスクワ進軍は回避され、「反乱軍」の首謀者プリゴジン氏がベラルーシに向かうという、予想外の展開に。
後ろ盾だったプーチン大統領との亀裂が決定的になったとされるプリゴジン氏ですが、地元の屋台でホットドックを売っていた「元囚人」がどうやって権力の中心に躍り出ることができたのか。
各国メディアが相次いで「プリゴジンは何者か」といった特集を組んでいます。
The hotdog seller who rose to the top of Putin's war machine
(プーチンの戦争マシーンのトップに上り詰めたホットドック売り:英紙ガーディアン)
ガーディアン紙によると、2014年夏のロシア軍によるクリミア併合前は、政府高官や軍関係者ですらプリゴジン氏のことを「単なる軍のケータリング業者」だとみなしていたそうです。
プーチン氏の後ろ盾で、ケータリング業者から正規軍とは異なる「私軍」ワグネルを創設したプリゴジン氏は、公の場でもプーチン氏のことを「Papa」(パパ)と呼び、大っぴらに親密さをアピールしていました。
2022年のロシア軍ウクライナ侵攻で、再び注目を集めたプリゴジン氏。数々の違法行為も指摘されていますが、わずか数年間のうちに、ワグネルを5万人規模(ガーディアン紙)にまで膨らませた腕力には、目を見張るものがあります。
ガーディアン紙は、プリゴジン氏を「the cruellest commander」(最も残虐な指揮官)だと評しつつ、「昔から、欲しいものはぜったいにあきらめずに手に入れてきた」という、長年の知人のコメントを紹介しています。
プーチン氏と同じくレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で1961年に生まれたプリゴジン氏は、若いころは数々の犯罪に手を染めていたとガーディアンは報じています。
10年近く投獄された後、サンクトペテルブルクの屋台でホットドックを売り始めましたが、当時は、自宅キッチンでホットドック用に使うマスタードを作っていたほど「質素な」ビジネスだったそうです。
多くの知人が証言しているように、「権力を見極める目」を持っていたプリゴジン氏は、その後、次々と「大物」に近づいていきます。ワインショップを経営したり、レストラン業に進出したりと、順調にビジネスを拡大していきますが、セレブの間ではレストランの味が評判となっていたそうですから、権力欲だけで知名度を上げたわけではなさそうです。
このサンクトペテルブルク時代に、のちに大統領になるプーチン氏と出会い、その後ろ盾で「政商」の座を得たと多くのメディアが伝えています。
実際、ガーディアン紙は、米ブッシュ大統領夫妻や英チャールズ皇太子(いずれも当時)らの後方にプリゴジン氏が映り込んでいる写真を何枚も掲載していますから、プーチン氏は各国首脳を頻繁にプレゴジン氏のレストランでもてなしていたようです。
日本の森喜朗首相(当時)も、プリゴジン氏のレストランに招待されたと伝える海外メディアもありました。監獄からホットドックの屋台、そして各国首脳をもてなすほど評判となったレストラン経営を経て、軍のケータリングなどを請け負う「政商」へ...。
何が起きても不思議でないような混乱期のロシアで、ガーディアン紙が「extraordinary」(並外れている)と称するほど、瞬く間に権力の座に上り詰めた背景には、プリゴジン氏が「Papa」と呼ぶプーチン氏の強力な後押しがあったことは間違いなさそうです。